東洋医学では「未病を治す」
ということに重きを置きます。
既に起こった病を治すという段階は、
戦争が起こってから武力を行使して
鎮圧するようなものであり
敵をたたくと同時にある程度の
味方(東洋医学では生気と考える)の損傷もやむを得ない
最終段階の作戦だといえます。
これよりも東洋医学では、
華やかさはないが、和平で治めるように
古来より伝わる四診(望・聞・問・切の診断法)を用い
体の声を聞くことで病が起こる前に予測し、
その根をつむぐことを何よりも第一とします。
どの場処に どのような症状が
起こったのか。原因がいったい何なのか。
それを徹底的に追求していくのが
東洋医学であり鍼灸(針灸)道なのです。
東洋医学の特徴として目に見えない”気”を扱うことを
前提としていることがあげられます。
これこそが、慣れない人にとっては、なかなかやっかいな問題となってきます。
現代人の考え方をすると、目に見えない、実体がない=存在しない
と考えてしまうかもしれません。
しかし、どうでしょう。
それは、簡単に、いち性質として
無色透明、無臭である 目には見えないが、そこには、はっきりと流動的な行用がある
と言ってしまった方が”気”の本質を理解しやすいのかもしれません。
重力は馴染み深いものでありますが、
この力はもちろん目に見えません。
しかし、万人がその存在を認めています。
電話も当たり前のように使うようになりましたが、この電波も目に見えません。
電池もまたしかり。電池自体は見えますがなかの電気は見えません。
人の体も同じようなものです。
電池で例えると、肉体は電池そのもので、
流れる気は、蓄えられた電気であると考えられます。
体の中で気がうまく流れないと病が生じ、
気がなくなると人は死んでしまいますよ。
とこう言っているのです。
今の時代には「気」は解明されていませんが、
50年、100年後には当たり前になっているかもしれませんね。
そう思えてなりません。