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【名医列伝】任応秋
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こんにちは盧です。
中国において中医学と
現代中医学は意味が違います。
中医学とは中国伝統医学の略称であり、
現代中医学とは西洋医学との折衷を
はかった現代における伝統医学のことを言います。
鍼灸を含め東洋医学には様々な流派がありますが
現代中医学は、間違いなく、弁証論治という
システマチックな体系を前面に打ち出したことに
特色があります。
今回はその「弁証論治」を始めて提唱した
比較的近代の名医・任応秋(にん おうしゅう)を
紹介したいと思います。
任 応秋
生まれは1914年四川省の出身です。
当時の北京中医薬大学の教授であり、臨床家だけでなく
また教育家としても著名な先生でありました。
(北京中医薬大学とは日本でいえば東大医学部に当たるでしょう)
当時、新中国の成立(1949年)もあり、中医学(中国伝統医学)は
存続の危機に立たされておりました。
1940年代、彼は数多くの名医たちが治療だけでよしとしたり
治療のみを過大評価することに警鐘を鳴らします。
それは伝統医学の基礎理論は全て古文で書かれており
処方や治療は残ったとしても先人の経験や理論が失われてしまう
という問題が浮き彫りになったからなのでした。
そこで彼は2つの業績を成した。
1、黄帝内経、傷寒論、金匱要略の研究
聖典と言われるこれらの本を
その理論面において臨床応用まで研究しまとめた。
この結果、国内外でこれらの本の研究が推進され
現在に至ると言われている。
また1981年の『日中「傷寒論」シンポジウム』
では傷寒論の歴史的編成を紹介し、
当時の中医界のリーダーとして
日本の伝統医学に大きな刺激を与えた。
2、「中医各家学説」という分野を生み出した。
任応秋という人の名声を高めたのは
この2つ目の業績が大きいと言われている。
戦国時代から中華民国まで計105の名医と学派を
当時の地位・働き・成果と貢献において分析した
歴史的大著を記した。
これによって伝統医学の遺産が整理され
歴代の名医の研究が再燃・加速したと言われている。
最後に彼はこんな言葉を残している。
「中医師は一方では人を救わねばならない、つまり治療である。
しかし、一方では医学も救わねばならない、つまり古典文献整理を
しなければならない。どんなに能力があったとしても、一人の
医者に治せるのは一人ずつにすぎない。しかし中国伝統医学の
歴史を整理研究してその精華を明らかにして、多くの人が
学習することができるようにすることはもっと大きな意味が
あるのではないだろうか?」
当時の伝統医学が虐げられていた時代、
任応秋先生の覚悟と思いが伝わるような言葉
なように思います。
参考文献
「中医臨床 128号」東洋学術出版