本音を言ってしまえば、
どんなものも
桂枝湯の加減で全ていけそうな、。
まあ、
生命に基礎を置くと言っても、
鍼の刺鍼も同様、
どこに対して基礎を設定するか、
意識をどの場所に落とすかによって
すっかり意味は変わるので、
そこに大事なものがあります。
生命の自転の中心軸は、
先天、後天で変わりますので、
重心を置く場所、
少し重心を正しい位地に落とすために
基礎をずらしておいてやるなど、
仮に胃気を助ける、腎気を救う、心血を満たすと言いましても
置き方ひとつで重心を動かせるか、どうかにかかっています。
万物は流転し続けておりますので、
その流動の、渦の中心はどこかということです。
或いは、その渦の縮小に向かうのを
重りをどう置いて、
軸をどう正してやるかということです。
弁証の奥の碇であって、
病因病理の見定めが誤っていれば
元も子もありませんが。
その前提ありきで、
中医学的な、
六法全書を紐解き解を求めるような
点と線による弁証のもっと先にある、
立体的な
太極的視点を持った弁証が必要になってくるのではないか。
一般論はもとより、
特殊論においても弁じきって整理するのが、
やはり、面白い。
単純に面白いし、
好奇心の根幹をくすぐり続ける。