がんばれ東北!
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今日も一日、鍼灸師としての誇りの為に、病治しの為に、
そして心の半分は東北を想ってがんばります!!
一鍼堂一同
今回は、陰陽別論篇について綴って参ります。
本来ならここにまとめてある以上の内容がありますが、
なるべく分かりやすくするため、
一部を抜粋して表現させて頂いております。
【陰陽別論篇 第七】
黄帝が問う。
「人に四経と十二従があるというが、
これはどのような意味か。」
岐伯が答える。
「四経と四時に対応する正常な脈象を指し、
十二従とは十二の月に対応する十二経脈を指すのです。」
●四経・・四時の正常な脈象のこと。
春=陽気が段々上昇し、脈拍それに応じ張りつめた弦を呈す。
夏=炎熱の気候なので脈拍満ち溢れるように洪となる。
秋=しだいに陽気が衰え、脈もそれに応じて浮を呈す。
冬=厳寒となり、脈は深く沈んで沈を呈す。
●十二従・・手足の三陰三陽の十二経脈を指す。
「脈には陰があり、陽があります。〜
陽脈には五種類あります。
春は微弦、夏は微鉤、長夏は微緩、秋は微毛、冬は微石です。
五時にはそれぞれ五臓の陽脈があるため、
五時を五臓と組み合わすと二十五種類の陽脈になります。
陰脈とは、脈が来るときに胃気がみられないもので、
真蔵の脈象とよばれます。
真蔵脈は胃気がすでに損なわれていることの兆候であり、
胃気が損なわれている脈象がみられれば、
必ず死ぬであろうと断定することができます。〜」
●真蔵脈
・・臓腑自体の機能が回復不能の事態に
たち到っていることを指し、
臓腑の真気(正気あるいは元気)が
すでに衰退の極に達していることを表す。
・肝臓の真気が絶えるときの脈象
→刀剣の刃をなぜるかのように極細で張りつめたものとなる。
・心臓の真気が絶えるときの脈象
→短く堅くころころと一粒の豆がせわしなく転動するような脈となる。
・脾臓の真気が絶える時の脈象
→雀が餌を啄むときのような、
屋根から雨水が滴るような、あるいはわずかな水が流れるような、
洗い終わったお椀からなお水滴がしたたるような、
シトシトと何の規則性もなく止まるかと思えばまた始まるといった、
調子の弱々しい脈となる。
・肺臓の真気が絶えるときの脈象
→羽毛のように漂うような無根の寂しい脈となる。
あるいは麻子仁(大麻の種子で潤腸薬に使う。直径3mmほど)が
ゴロゴロと転がるような力なく渋る円滑さのない脈となる。
あるいはまた水面の波にたとえられて去来はごく速く、
模糊として判然としない脈となる。
・腎臓の真気が絶えようとするときの脈象
→来客が行きつ、戻りつするように定まらず、
来るときは石を弾くように堅く、
去るときは解けた縄のように乱れて無根となる。
・命門の真気が途絶するときの脈象
→来るときがぼんやりと識別できず、
蝦が水底でうごめくように、
沈部でときどき突然に拍動する。
あるいはときに、魚が翔する(翔:かける。羽をひろげて飛びまうこと。)
ような脈となる。
:魚翔脈(とび魚が突然に水面から現れ、
また水中に潜っていくように寸関尺のどこかに突如として現れ、
そのときのその部の拍動以外には
脈動がまったく感じられないような脈を意味している)
・膀胱の真気が途絶するときの脈象
→泉の湧き水のように感じられる。
以下、原文を掲載し、上記赤字の部分に対応している部分を、
緑字で色付けしております。
黄帝問曰、人有四経十二従、何謂。
岐伯対曰、四経応四時、
十二従応十二月、十二月応十二脈。
脈有陰陽。知陽者知陰、知陰者知陽。
凡陽有五、五五二十五陽。所謂陰者、真蔵也。
見則為敗。敗必死也。
所謂陽者、胃脘之陽也。別於陽者、知病処也。
別於陰者、知死生之期。
三陽在頭、三陰在手。 所謂一也。
別於陽者、知病忌時。別於陰者、知死生之期。謹熟陰陽、無与衆謀。
新川
参考文献:『黄帝内経素問 上巻—現代語訳』
『中医基本用語辞典』 東洋学術出版
『中医脉学と瀕湖脉学』 たにぐち書店