この世にありしものは、
どんなものも振動している。
固体、液体、気体。
岩をよくみてみる。
確かに振動している。
振動なきものは死だ。かならず朽ちる。
だからあのようなものは
死への弔いだと彼には言った。
振動し続けることに生の本質はある。
巨木が堕ち、
新芽が顔を出し、
それがやはり育たず、
あらたな子が太陽の友となり
王者の面影があらわになった時、
死の弔いは終わり、
微笑みが取り戻されるのかもしれない。

ただ、死の舞いには一定の美しさがあるから困る。
やがて僕らがそこに向かうからであろう。
ただし、また そこから始め直す必要があるのではあるから、
問題点は共有するのであるが。

( 社会は死を忌むが
自然界においては生と死は等価値であるので、
死を考察することは、
同時に生を考察することに他ならないと
一定の補いをしておきます。)

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