下野です。
冬が近づくにつれて、
朝がまるで夕方から夜のような
空模様を呈してきましたが、
つい先日は非常に綺麗な朝焼けでしたので、
思わず携帯で撮影しました。
では『万病回春』に参ります。
【原文】
五鬱者、泄、折、達、発、奪也。
木鬱達之謂吐之、令其條達也。
火鬱発之謂汗之、令其疏散也。
土鬱奪之謂下之、令無壅凝也。
金鬱泄之謂滲泄、解表利小便也。
水鬱折之謂抑之、製其衝逆也。
心下逆満者、下之過也。
気上衝胸、起則眩暈者、吐之過也。
肉瞤筋惕、足蜷悪寒者、汗之過也。
脱陽者見鬼、気不守也。
脱陰者目盲、血不榮也。
重陽者狂、気並於陽也。
重陰者癲、血並於陰也。
気留而不行者、為気先病也。
血壅而不濡者,為血後病也。
五臟不和、則九竅不通也。
六腑不和、則流結為壅也。
手屈而不伸者、病在筋也。
手伸而不屈者、病在骨也。
瘈者、筋脈急而縮也。
瘲者、筋脈緩而伸也。
搐搦者、手足牽引一伸一縮也。
舌吐不収者、陽強也。
舌縮不能言者、陰強也。
春傷於風、夏必飧泄也。
夏傷於暑、秋必痎瘧也。
秋傷於湿、冬必咳嗽也。
冬傷於寒、春必温病也。
風者、百病之長也。
風痱者、謂四肢不収也。
偏枯者、謂半身不遂也。
風懿者、謂奄忽不知人也。
風痺者、謂諸痺類風状也。
癱者坦也。
筋脈弛縱、坦然而不挙也。
瘓者渙也。
血気散満、渙而不用也。
<第十六に続く>
【現代語訳・解説】
五鬱とは泄、折、達、発、奪である。
木鬱を達すとは、肝気を疎通させることである。
火鬱を発すとは、熱を発散させることである。
土鬱を奪うとは、吐出、瀉下することである。
金鬱を泄すとは、汗で発散したり、
小便を出しやすくさせることである。
水鬱を折すとは、水気を屈托して、
逆上する勢いを抑えることである。
心下逆満する者は、過度の下法によるものである。
気逆し、立てば眩暈する者は、過度の吐法によるものである。
筋肉の痙攣、足がかがまり悪寒する者は、
汗法の過度によるものである。
脱陽の者は幻覚を、脱陰の者は盲目となる。
重陽の者は狂症となり、重陰の者は癲症となる。
気が滞り巡らなくなれば、先に気が病み、
血が塞がり潤さなくなれば血がその後に病む。
五臓の機能が失調すると九竅が通じなくなり、
六腑の機能が失調すると気が滞り癰が出来る。
手が曲がり、伸びないものは病が筋にあり、
反対に手が曲がらないものは病が骨にある。
瘈は、筋脈が縮むことであり、
瘲は、筋脈が弛緩して伸びることである。
搐搦とは、手足を牽引して伸縮する。
吐舌し、収まらないものは陽強であり、
舌が縮こまり、話すことが困難なものは陰強なり。
春に風に傷られれば、夏は必ず飧泄をし、
夏に暑に傷られれば、秋は必ず痎瘧を引き起こす。
秋に湿に傷られれば、冬は必ず咳嗽が起き、
冬に寒に傷られれば、春は必ず温病となる。
風は百病の長である。
風痱とは、四肢が自由に動かないものを言う。
偏枯とは、半身不随を言う。
風懿(卒中風)とは、突然意識不明となることを言う。
風痺とは、症状が風の様なものである。
癱は左半身の萎えた状態であり、
筋脈弛緩し、手足が挙らない状態である。
瘓は右半身の萎えた状態であり、
血気は散満し、渙然として用いられる。
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「風邪は百病の長」や「風邪は万病の元」と言う言葉を
皆さんよく耳にするかと思います。
これを『大辞泉』で調べたところ
「風邪はあらゆる病気を引き起こす原因になるから、
用心が必要であるということ。
たかが風邪と甘く考えないように戒める言葉。」
と説明がなされております。
ただこの言葉ですが、
東洋医学の経典である
「黄帝内経素問」に既に記載されており、
この意味合いが現代の解釈とはことなります。
「黄帝内経」の解釈では、
自然界には春夏秋冬それぞれに吹く風があり、
風向、時期がそれぞれ規則的に決まっているとされております。
この風が規則的に吹くことで
万物は育ち・養われるのですが、
これが乱れると本来とは異なった風が起こり、
反対に万物を害するものになると考えられ
これを「風の邪=風邪(ふうじゃ)」と言います。
この不規則な風が
人の虚に乗じて侵入し、
すぐに発病するものから、
どんどん病が深いところに入り発病するものと
様々な病気を引き起こすものと考えられております。
まさに
「風邪は百病の長」や「風邪は万病の元」
と言われる所以であります。
<参考文献>
『万病回春解説』 創元社
『万病回春.巻之1-8』 早稲田大学 古典籍総合データベース
『難経解説』 東洋学術出版社
『現代語訳◉黄帝内経素問 上巻』 東洋学術出版社
『現代語訳◉黄帝内経素問 下巻』 東洋学術出版社
『ことわざ東洋医学』 医道の日本社
※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。
下野