どうも、新川です。
今回は、
前回に引き続き
吉益東洞に関しての記事です。
前回の記事はこちらです。
【東洋医学史】古方派について 第四
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吉益 東洞(ヨシマストウドウ 1702~1773)
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1738年に京都へ家族で移住し、診療所を開設する。
しかし、
思うように患者も弟子も集まらず、
また盗賊にあって蓄財の全てを失う事態に陥ってしまう。
生活のため、内職でしのぐ日々が続き、
それを見かねた友人が仕官の道をすすめるも、
逆に一喝し、貧しくても医業の道を貫く意志を語った。
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東洞 44才のとき
出入りしていた問屋の老婆が傷寒にかかる。
たまたま通りかかった東洞が診察を申し入れた所、
普段の仕事の真面目さもあり、
店の主人に許可を得、診察を行った。
ちなみにこの老婆の主治医は
当時の禁裏付御医師の山脇東洋であった。
東洞は、
「追々と回復するであろうが、
(処方を見て)『石膏』を外すべし」
と診断する。
その後、
山脇が診察したところ、
東洞の診断の確かさを認め、
その老婆の治療を東洞に任せるようになる。
その事がきっかけとなり、
東洞は京でも有名な医師となっていく。
続く
<参考文献>
『日本医療史』 吉川弘文館
『鍼灸医学事典』 医道の日本社
『中医基本用語辞典』 東洋学術出版社
『図説 東洋医学〈基礎篇〉』 学習研究社
『建殊録』農山漁村文化協会
『東洞全集』思文閣
『吉益東洞「古書医言」の研究』汲古書院
『吉益東洞の研究 日本漢方創造の思想』岩波書店
※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。
新川