クラスメートの一人一人にまた、
それらの家族があるように
一つの臓腑の陽気を云々したところで、
彼の中にもそれを満たし支える
家と支えうる素材、
一蔵でありながら五蔵を抱える
その生温かい息吹があることを
たとえ言葉に出来なくとも
認識し、触れてやらねば、
やれ、
弁証したところで核心には届かぬように
思われます。
五臓を独立して捉えたところで
それはやはり
細分化して離ればなれに
なってしまった
悪い部分での西洋の哲学、
西洋の医学のそれとそう大差がなく
まさに思考の沼にはまっていると
言えるのではなかろうか。
五蔵の螺旋も生死の螺旋と同じく
螺旋のひとつに
俯瞰した場所の記憶が閉じられているように
僕には感じられる。
言葉にするのは難しいです。
伝われば。
伝わらなくても良いか。
わざわざ書く必要もないかもしれませんが、
残しておきます。