張仲景の古医書『傷寒論』の解説です。
今回の傷寒論は弁陽明病脈証并治 二百四章・二百五章・二百六章。
二百四章では、しきりに嘔吐している者には、
攻下法を用いてはいけないことを述べております。
二百五章では、心下硬満の場合は攻下法を行ってはいけないことと、
その予後について述べております。
二百六章では、陽明病で熱が陽明経表に鬱滞しているときに
誤って攻下し変証となった場合について詳しく述べております。
二百四章
傷寒嘔多、雖有陽明證、不可攻之。
和訓:
傷寒にして嘔多きは、陽明の証ありと雖も、之を攻むべからず。
・傷寒嘔多、雖有陽明證、不可攻之。
解釈が2通りあるので各々紹介します。
①嘔多はただ嘔吐が頻繁にあるというのではなく、
嘔吐が主に現れているという意味である。
そしてこの嘔は傷寒より内伝したもので、
病邪が少陽にあるということがはっきりわかる。
これは少陽病で、邪が表から裏に内伝しようとしたが、
拒まれたことを現している。
このような時には陽明の証候があっても治療は
少陽病の病機に従って解いていかなければならない。
②陽明の証とは胃腸に燥熱が内結し
便秘や腹満痛、潮熱譫語などがある状態である。
しかし嘔を伴うということは、病邪が胃の上部にあって
腸にはなく、胃気が上逆している証拠で
いまだ邪が胃腸に結しているとはいえず
完全な陽明腑証にはいたっていないので、
攻下するのには時期尚早であるので
「攻むべからず」と攻下を禁止している。
提要:
しきりに嘔吐している者には、攻下法を用いてはいけないことを述べている。
訳:
傷寒に罹って嘔吐が激しい場合は、
「大便せず」という証候があっても攻下法で治療してはならない。
二百五章
陽明病、心下鞕滿者、不可攻之。
利遂不止者死、利止者癒。
和訓:
陽明病、心下鞕満するものは、之を攻むべからず。
之を攻め利遂に止まざるものは死し、利止むものは癒ゆ。
・陽明病、心下鞕滿者、不可攻之。利遂不止者死、利止者癒
「心下鞕滿」より、邪は上焦に偏在しているのであり、
陽明腑実ではないことがわかる。
また硬満して痛まず、押さえても拒まないことから、
これは水熱結胸症でもないので、攻下法を行ってはいけない。
これは胃虚で寒があり、邪熱が内伝して裏に入ったが
まだ燥になっていなくて、心下に痞塞した虚硬虚満の状態なのであり
このような虚証に対して実証を治療するように
妄りに攻下法を行えば、多くの場合は中焦の陽気は下方より脱し、
そして下痢が止まらない変証が現れるようになる。
もし、幸いにも下痢が止まれば、
胃気が次第に回復するので、治っていく望みはある。
提要:
心下硬満の場合は攻下法を行ってはいけないことと、
その予後について述べている。
訳:
陽明病に罹り、心下部が硬くて膨満している場合は、
攻下法を用いることができない。
もし攻下した後に下痢が止まらなくなれば予後不良で、
下痢が自然に止まるなら病は治癒可能である。
二百六章
陽明病、面合色赤、不可攻之、必發熱。
色黃者、小便不利也。
和訓:
陽明病、面合色赤きは、之を攻むべからず、必ず発熱す。
色黃いろきものは、小便利せざるなり。
・陽明病、面合色赤、不可攻之、必發熱。
陽明病で顔中真っ赤であるということは
熱が陽明経表に鬱滞して発散することができず
経を上って顔にそれが現れているのであるから、
汗出や潮熱等の陽明腑実を現す症状がみられない。
従って攻下法を行ってはならない。
・色黃者、小便不利也
仮に誤って攻下すれば、胃が虚し停水が動いて
邪熱が内陥し、水湿と邪熱が内蒸する。
その影響は必ず三焦、膀胱の気化作用に及び、
表裏の気がのびのびと交流しないようになり、
発熱、身体が黃色くなる、小便の出が悪いという変証が現れる。
提要:
陽明病で熱が陽明経表に鬱滞しているときに
誤って攻下し変証となった場合について述べている。
訳:
陽明病に罹り、顔全体が真っ赤になっている場合には
攻下法を用いてはならず、もし用いれば発熱させてしまう。
もし顔色が黃色なら、小便の出は悪い。
参考文献:
『現代語訳 宋本傷寒論』
『中国傷寒論解説』
『傷寒論を読もう』
『中医基本用語辞典』 東洋学術出版社
『傷寒論演習』
『傷寒論鍼灸配穴選注』 緑書房
『増補 傷寒論真髄』 績文堂
『中医臨床家のための中薬学』
『中医臨床家のための方剤学』 医歯薬出版株式会社
生薬イメージ画像:
『中医臨床家のための中薬学』 医歯薬出版株式会社
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為沢