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こんにちは、為沢です。
動画は趣味で載せてみました。何故か惹きつけられて何度も見てしまいます。


では、ここからは張仲景の古医書『傷寒論』の解説です。

今回の傷寒論は弁陽明病脈証并治 百九十五章・百九十六章。
百九十五章では、寒湿(訂正:臨床上、寒湿とは限りません)が内蘊し穀疸となる前兆の脉証について。
百九十六章では、久病で身体が虚体の場合は、輸精気・化汗ができないことについて
それぞれ述べております。


百九十五章

陽明病、脉遅、食難用飽、飽則微煩頭眩、
必小便難、此欲殻癉。雖下之、腹滿如故。所以然者、脉遲故也。

和訓:
陽明病、脉遅に、食用って飽き難く、飽くれば則ち微かに煩して頭眩し、
必ず小便難く、此れ穀癉を作さんと欲す。之を下すと雖も、腹滿故の如し。
然る所以の者は、脉遲なるが故なり。


陽明病、脉遅、食難用飽
陽明病は脉大で有力であるが、いま脉遅で無力なことから
胃虚で寒があるということがわかる。
訂正:臨床上では脉遅・無力=虚寒に限らない。
気が阻滞したために胃が温煦されず、厥冷することもある。
虚寒では穀を化すことができない。
食が中に留まり滞っているので、食物が腹一杯食べられない。

飽則微煩頭眩、必小便難、此欲殻癉
水穀が鬱滞して阻んでいるために、胃絡がスムーズに通らず
微煩(少し気分がイライラして悪い)が起こる。
中焦が虚して精気を化すことも、巡らせることもできないので
上方では頭眩が生じ、下方では腹満、小便難となっている。
「穀疸」とは水穀の湿が鬱滞して発生する黄疸のことをいう。
水穀・湿が停滞し、内蘊が久しくなって黄疸(穀疸)が生じた。

所以然者、脉遲故也
この場合、攻下法を行っても
腹部の膨満に変化が出ないのは脉遅だからである。

提要:
寒湿(訂正:臨床上、寒湿とは限りません)が内蘊し穀疸となる前兆の脉証について。

訳:
陽明病に罹り、脉は遅で、食べることはできても満腹まで食べられず、
満腹したとすると軽いイライラと眩暈を覚え、小便は出にくくなるが
これは穀疸を発症する前兆である。
攻下法で治療しても、腹部の膨満は依然と元のままである。
このようになるのは脉が遅であることに関係している。


百九十六章

陽明病、法多汗、反無汗、其身如蟲行皮中状者、此以久虚故也。

和訓:
陽明病、法汗多きに、反って汗なく、
其の身虫の皮中を行く状の如きものは、此れ久しく虚するを以ての故なり。


陽明病、法多汗、反無汗、其身如蟲行皮中状者、此以久虚故也
陽明裏熱証は多汗であり、熱蒸して発汗するはずなのに汗が出ず、
しかも身体が痒くて虫が這うような感じがするのは、
その人の胃気が久病で虚し、精気を化して生じる力が不足し、
しかも陽明熱が盛んで津気が癒えず損傷し、
精気を皮毛に運んで汗を作ることができないからである。

提要:
久病で身体が虚体の場合は、輸精気・化汗ができないことを述べている。

訳:
陽明病に罹れば、理屈からすると多量の汗が出るはずなのに
今かえって汗が出ず、患者は全身が痒くあたかも皮膚の中で
虫が動いているように感ずるのは、陽明の気が長期に虚した状態にあるからだ。


参考文献:
『現代語訳 宋本傷寒論』
『中国傷寒論解説』
『傷寒論を読もう』
『中医基本用語辞典』   東洋学術出版社
『傷寒論演習』
『傷寒論鍼灸配穴選注』 緑書房
『増補 傷寒論真髄』  績文堂
『中医臨床家のための中薬学』
『中医臨床家のための方剤学』 医歯薬出版株式会社

生薬イメージ画像:
『中医臨床家のための中薬学』 医歯薬出版株式会社

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

為沢

2 コメント

  1. “陽明病は脉大で有力であるが、いま脉遅で無力なことから
    胃虚で寒があるということがわかる。”
    と解説してるけども、
    臨床的には単純に虚寒と認識するのは危険だなあと思います。
    邪が経脈を塞ぎこのような脈を呈することもあるから要注意だね。
    無力な脈が虚だとはまったく限らないしね。
    横やり失礼。

    蟲行皮中のやつは臨床あるあるだね。
    異論なし。

    • そうですね。
      脉無力=虚寒というわけではなく、
      誤解を招いてしまうので訂正しておきます^^;
      御指摘ありがとうございました。

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