どうも新川です。

菜の花
菜の花

この日は天気も良かったので、日光が反射し眩しいぐらいの光景でした。

今回は、陰陽類論篇について綴って参ります。
本来ならここにまとめてある以上の内容がありますが、
なるべく分かりやすくするため、
一部を抜粋して表現させて頂いております。

【陰陽類論篇 七十九】

【原文】
孟春始至。
黄帝燕坐、臨観八極、正八風之気、而問雷公曰、陰陽之類、経脈之道、五中所主、何蔵最貴。
雷公対曰、春甲乙、青。中主肝。治七十二日、是脈之主時。
臣以其蔵最貴。帝曰、却念上下経、陰陽従容、子所言貴、最其下也。

雷公至斎七日、旦復侍坐。
帝曰、三陽為経、二陽為維、一陽為游部、此知五蔵終始。
三陽為表、二陰為裏、一陰至絶作朔晦。却具合、以正其理。
雷公曰、受業未能明。
帝曰、所謂三陽者、太陽為経。三陽脈至手太陰。
弦浮而不沈、決以度、察以心、合之陰陽之論。所謂二陽者、陽明也。
至手太陰。弦而沈急不鼓、炅至以病。皆死。
一陽者、少陽也。至手太陰、上連人迎。弦急懸不絶、此少陽之病也。
専陰則死。三陰者、六経之所主也。交於太陰。伏鼓不浮、上空志心。
二陰至肺、其気帰膀胱、外連脾胃。
一陰独至、経絶、気浮不鼓、鈎而滑。
此六脈者、乍陰乍陽、交属相并、繆通五蔵、合於陰陽。
先至為主、後至為客。

雷公曰、臣悉尽意、受伝経脈、頌得従容之道、以合従容、不知陰陽、不知雌雄。
帝曰、三陽為父、二陽為衛、一陽為紀。
三陰為母、二陰為雌、一陰為独使。

二陽一陰、陽明主病。不勝一陰、耎而動、九竅皆沈。
三陽一陰、太陽脈勝、一陰不能止。内乱五蔵、外為驚駭。
二陰二陽、病在肺。少陰脈沈、勝肺傷脾、外傷四支。
二陰二陽皆交至、病在腎。罵詈妄行、巓疾為狂。
二陰一陽、病出於腎。陰気客遊於心、脘下空竅、堤閉塞不通、四支別離。
一陰一陽代絶、此陰気至心、上下無常、出入不知、喉咽乾燥。病在土脾。
二陽三陰、至陰皆在、陰不過陽、陽気不能止陰、陰陽并絶。浮為血瘕、沈而膿胕。
陰陽皆壮、下至陰陽。上合昭昭、下合冥冥、診決死生之期、遂合歳首。

雷公曰、請問短期。
黄帝不応。雷公復問。
黄帝曰、在経論中。
雷公曰、請聞短期。黄帝曰、冬三月之病、病合於陽者、至春正月脈有死徴、皆帰出春。
冬三月之病、在理已尽、草与柳葉皆殺。春陰陽皆絶、期在孟春。
春三月之病曰陽殺。陰陽皆絶、期在草乾。
夏三月之病、至陰不過十日、陰陽交、期在[氵兼 ]水。
秋三月之病、三陽倶起、不治自已。陰陽交合者、立不能坐、坐不能起。
三陽独至、期在石水。二陰独至、期在盛水。

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三陽経たり二陽維たり一陽游部たり

三陽経たり
三陽
=足の太陽脈
身体の後背部を直行する

=織物の縦糸、縦、南北の方向

三陽父たり→すぐれた尊いもの

二陽維たり
二陽
=足の陽明脈
身体の前部をめぐる

=つなぎとめる、つな、糸すじ

二陽衛たり→外表を守る

一陽游部たり
一陽
=足の陽明脈
太陽、陽明の間を出入りする

=およぐ、位置を定めず水上を動き回る、あそぶ、川の流れ

一陽紀たり→少陽=枢要なるもの 綱紀(規律)

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三陰表たり二陰裏たり一陰至絶にして朔晦を作す

「三陰は体表にあり」
三陰=太陰
太陰はよく諸経を育み養うことから
「母」と称される。

「二陰は体内にあり」
内側の守りや背後からの援助にあたることから
「雌」と称される。

「一陰は陰気の終わりであり、陽気の始まりでもある。」
陰陽の間を交わり通ずる。
張景岳 の説
陰が尽きると陽が生ずるが、
ただ厥陰だけがこれを主るので、独使という。


参考文献:
『黄帝内経素問 上巻—現代語訳』
『黄帝内経素問 中巻—現代語訳』
『黄帝内経素問 下巻—現代語訳』
『中医基本用語辞典』 東洋学術出版
『臓腑経絡学』 アルテミシア
『鍼灸医学事典』 医道の日本社

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

新川

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