①自分達のしていることは正しいという気持ちがあるとします。
次に、②自分たちのしていることこそが正しいという気持ちがあります。
この二つの気持ちは、
似ているように思えます。
若干の表現の違いに思えるかも知れません。
しかし、実際にはこの変化が致命的なものとなります。
①は容易に②となります。
それは本人が気付かぬ間に音もなく、その者の中に巣くいます。
そして、必ず次は他を認めぬ修羅の心が芽生えます。
誇りが、いつのまにか驕りになる瞬間とも言えるかもしれません。
そうならないようにブレーキが必ず必要となるのであって、
そのブレーキは、
本当に自分のやっていることは正しいのかという自問自答に他なりません。
自分の正当性を行動を疑うことが必要です。
また、正しいという認識自体、実は非常に危なっかしい考え方です。
僕たちは、自問自答し続けたいと思いますし、そうする必要があると思います。
多くのものを見て参りましたので、
我々は正しいと看板をかかげてまっすぐだけを見つめるということしません。
どこかでいつも自らを否定して、
一定肯定しながら、
毎日雪かきのようにこつこととやるべき道を歩んでいきたいと思います。
それらが少なくとも僕たちの歩む道であります。
正しいとか、正しくないとか。
そんなものは相対的なものであって、
どこかの誰かが無神経さをもって勝手に決める。
自分で違和感を感じたら自らがその地点で素直に修正すべきではないでしょうか。
僕は幼少期から帝王学を叩き込まれてきたので
その考え方の誇るべき点と、
認める訳にはいかない欠陥を身をもって知ってきました。
ゆえに、やるべきことはたくさんあります。
少し、抽象的な表現が多かったかも知れませんが
大事なことです。
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( 追記 )
写真はベタなやつですね(^_^;
新幹線から撮った富士山です。
7,8年前は東京への往診の際に、
富士山ばかり撮って院に飾っていましたが
久しぶりになりました。
富士山はすごいですね,
寝ていても必ず近くになると ふっと気付き、眼が覚めます。
一鍼堂 林