曲池は大きな沢のごとし。
邪をよくためることもあれば、
乾き、気滞を引っかけることもある。
邪の状態如何よりも、
その前提である、沢の質、形、土壌の状態が
上に存在する邪の存在、邪の行方を決定づける。
それを語らず、
補だ、瀉だと言う意味はないと考える。
穴性以前に穴性を決定づけるものを知ることとなる。
この穴の位を考えれば気付くことであるが、
下焦との親和性が強く、
腎気が損傷されれば、
たちまち、この穴の表現は発動される。
邪を留めるに必要な地盤が成されるのであって、
やれ湿がどうの、気滞があるだの、熱があるだの、
言い出すと、
それだけではもう、ずいぶんと遅い。
彼を支えるのは下焦の陰血であり、
必要十分な下焦の太陽である。
また、
これを正すにも作法というものがあり、
鍼もそれに従うのみである。
鍼師 林