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“術者が患者の悪いものをもらう。受ける。”
といった表現を良く聞く。
患者からも、
術者側からも。
僕はこの発想が嫌いだ。
大嫌いだ。
すごく、暗いし、消極的だし、
治療現場においても適当にちょいちょいと、
患者に見せて、上の文句を吐き、
まるで神の如くふるまう人もいる。
なんだろう。
言い方を選ばず心情をかけば、
正直、胸くその悪いもんを感じる。
上記のこと、
無いとは言わないが、
術者の心のあり方、鍼をもつときの状態。
向こうに対する意識、己の魂魄のありかたで
そういう要素を除外して治療をすることが出来ると感じている。
それこそ、鍛錬がいるかもしれないけど、
それは鍼師にとって必要な行ではなかろうか。
その行をないがしろにして、
術者は邪を受ける。などというのは
自分が患者に容易に感化する未熟者で或ると
宣言しているようなもんではないかと
僕自身は思い、そうなってはいけないぞと肝に銘じている。
どうだろう。
患者の悪いものをもらうって表現、
しばらくは一切口にせずやりませんでしょうか?
技術を得る前に、
そういうことを言い出すと、
もう、なんだこれって業界になっちゃう気がしてしょうが無い。
ちなみに、
僕も、自分にとって失うとき、決して
失ってっはならない大事な人を
失う寸前。
彼に いわゆる 死臭というものがまといはじめた。
これに対して、どうにかしないとならないと、
言葉通り、自分を削ってでも治そうと試みて、
治療に臨んだ。
その日、
帰って風呂に入っていると、
いつまでも自分に彼の死臭が取れないのに気付いたことがあった。
これはどうだろうか。
こういう事が起こるのは大体、患者に対して感情移入があったり、
感化されて、自分の核が動じてしまった場合。
これに対して、
僕はすごく自分の未熟さを痛感した。
こういう状態では決して、良い治療なんて出来ない。
奇跡は起こせても、
やはり刹那的な手法であって、これを拠り所に治すわけにはいかない。
鍼医者は鍼医者として東洋医学の名の下に。
僕の未熟な経験も付け、ここに書いた。
戻るが、
鍼師は簡単に
術者が患者の悪いものをもらったり、受けたりしてはならないし、
そんなことを軽々しく口にするべきではないと思う。
ブログ、いつも楽しみにして、読んでいます。
正直に言いますと、治療をして頂く際、
「先生もたくさんの人を治療するのだから、疲れるだろうに。申し訳ないな」と思う時があります。
それは、自分の体が弱っている時です。
そういう時は、せっかく治療をしてもらっても、効果が
半減する。
自分がうしろ向きな気持ちでいたら、手を施してもらっても、効果は現れませんよね?
わかってはいるのですが、どうしても気持ちに折り合いがつかない時があります。
本当は、すごく感謝してるのですが。
施術を受ける前に、自分自身も、気持ちの切り替えをしたいと思います。
hajimeさん。
患者さんがそういう精神状況であっても、その状態こそも治療対象と考えて処置しますので、落ち込んだときには落ち込んでいただいたまま治療を受けてもらえれば結構ですよ。
元気出して!って励ますことはあまりありません。
いい状況に自然となるように鍼で持って行きます。
ただ、術者は常に冷静にあるべきだという内容で患者に要求するレベルものではないです☆
ご安心を。
なんか、深い真実な言葉だなあとじっくり読ませてもらいました。
私はこの5年間福祉の相談員という結構大変な方々(事実は小説より奇なり・・そのものでした)との対人の仕事をしてきました。
そうなんです。自分が不調且つ未熟な時は感情移入してしまうわ、後あとまで引きずるわ・・で、なのに結局ベストな支援にはなってなかったようです。
自分の体調が良いと(鍼に感謝です)その対面している短時間に集中することができ、その方の問題点を見極められ解決にもっていく手順がみえて何からどうしていくかを示せていたようです。そして、その場毎でやり切るのでスッキリと次にも取り組める。本当に良い状態で退職できました。明日からの新しい仕事にも自信を持ってやっていきたいです。あくまでも謙虚に・・・ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
そうですね☆
鍼師として書きましたが、
意外にいろんな職業の人にも
言えることなのかも知れませんね。
ふむふむ。