下積み修行中の木村さんのお勉強記事です。
勉強不足で至らない内容ですが、
少しずつ学び成長して参りますのでお許し下さい。
不出来なところもあるかと思われますが、
成長とともに少しずつお返しして参りますので
どうか見守り 応援してやって下さい。
木村です。
「また、手?」と、突っ込まれながら描いております。(苦笑)
今回、掌ですが、手の中でも一番苦手で
初めてちゃんと描いてみました。なかなか立体感が出せずにおります。
筆圧は濃いほうですので薄く、柔らかく描くよう意識しています。
色々と描く意識を自分なりに変えておりますので、まだ3枚目ですが違いがあり比較すると面白いです。
(1枚目はこちら。2枚目はこちら。)
何か一つ気づき変化をさせると調和を合わせる為にほぼ全て描き直します。
(私の場合ほぼ後半に気づき描き直します。なので時間がかかってしまうわけです。)
小さな事を繋げると全然違う絵になってくるので
ちょっとした発見が今回ありやや興奮してました。
こういった気づきを他のことにも繋げたいと思います。
九鍼十二原篇 第一
【原文】
今夫五蔵之有疾也,譬猶刺也,猶刺也,猶汚也,猶閉也.
刺雖久,猶可抜也.汚雖久,猶可雪也.
結雖久,猶可解也.閉雖久,猶可決也.
或言久疾之不可取者,非其説也.
夫善用鍼者,取其疾也.
猶抜刺也,猶雪汚也.
猶解結也,猶決閉也.
疾雖久,猶可畢也.
言不可治者,未得其術也.
刺諸熱者,如以手探湯,刺寒清者,如人不欲行.
陰有陽疾者,取之下陵三里,正往無酷,気下乃止,不下復始也.
疾高而内者,取之陰之陵泉,疾高而外者,取之陽之陵泉也.
【和訓】 〜『現代語訳◉黄帝内経霊枢 上巻』 東洋学術出版社より〜
今夫れ五蔵の疾あるや、譬うれば猶お刺のごときなり、猶お汚れのごときなり、
猶お汚れのごときなり、猶お結ぼれのごときなり、猶お閉ずるがごときなり。
刺すこと久しと雖も、猶お雪ぐべきなり。
結ぼるること久しと雖も、猶お解くべきなり。
閉ずること久しと雖も、猶お決めするべきなり。
或るひと久疾の取るべからざる者を言うは、其の疾を取るや、
猶お刺を抜くがごときなり、猶お汚れを雪ぐがごときなり、
猶お結ぼれを解くがごときなり、猶お閉ずるを決するがごときなり。
疾久しと雖も、猶お畢わるべきなり。
治するべからずと言う者は、未だ其の術を得ざるなり。
諸熱を刺す者は、手を以て湯を探るが如し、寒清を刺す者は、人の行くを欲せざるが如くす。
陰に陽疾ある者は、これを下陵三里に取り、正しく往きて殆うきことなく、気下れば乃ち止め、
下らざれば復た始むるなり。
疾高くして内なる者は、これを陰の陵泉に取り、疾高くして外なる者は、これを陽の陵泉に取るなり。
【提要】疾病に関する刺鍼や穴について論じている。
●熱病の施術を施す場合は、鍼を浅く素早く刺す。
張介賓の説〜『現代語訳◉黄帝内経霊枢 上巻』 東洋学術出版社より〜
「手を以て湯を探るがごとしとは、軽やかにしなければならない。
熱は陽に属し、陽は外を主るから、治法はそのようにすべきなのである。」
●寒冷病に鍼を施す場合は、深く刺し鍼を留める。
張介賓の説〜『現代語訳◉黄帝内経霊枢 上巻』 東洋学術出版社より〜
「人の行くを欲せざるがごとしとは、去りがたいという意味である。
陰寒が凝滞すれば、気を得ることは難しいので、鍼を留めるべきなのである。」
●熱が陰分にある者に施術を施す場合は、陽明経の足三里を取る。
邪気が下るのを待って鍼を抜き、邪気が下っていなければ再び刺す。
●病気が身体上部にあって蔵に属していれば、足の太陰経の合穴、陰陵泉を取り、
府に属していれば、足の少陽経の合穴、陽陵腺に取る。
張介賓の説〜『現代語訳◉黄帝内経霊枢 上巻』 東洋学術出版社より〜
「疾高き者とは、上にあるものであり、下して取るべきである。
そこで高くて内にある者は、蔵に属しているので
足の太陰の陰陵泉を取るべきである。」
「高くて外にあるものは、府に属性ている。そこで足の少陽の陽陵泉を取るべきである。」
※疾病を治すということは、刺さったとげを抜くようなものであり
河川が土砂でつまるようであれば通じさせるようなものである。
病を長く患っているから、治せないと言う者がいるが、これは正しくない。
治せないなどと言う者は、勉強不足であり、又刺鍼の技術を会得していないのである。
次回からは本輸篇 第二を記載して参ります。
参考文献:
『現代語訳◉黄帝内経霊枢 上巻』 東洋学術出版社
『霊枢』 たにぐち書店
『鍼灸医学大辞典』医歯薬出版株式会社
『鍼灸医学事典』 医道の日本社
*画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
ぜひ参考文献を読んでみて下さい。
木村