人をみる。
よく観察することが重要です。
組織に有りながらもその者がどういう者であるかが重要のようです。
仮に、
一鍼堂が気に入ってもらっていても
担当の鍼灸師がどんな施術をするか、信頼しうるかを
きちんと判断して、
気に入らなければ違う術者を求めるべきです。
また、大きな流派の所属にあっても、
流派どうこうというカテゴリと平行して
その者がどうであるかという所にシンプルに考えることも必要になってきます。
ここまでは方便。
さて、
選挙がありました。
いろんな投票のしかたがあります。
十人十色です。
特定の人を応援する人もいますが、
この人に任せては絶対にならないという、故にこの人には入れない
という意思表示もあるかと思います。
そういう民意がつのって、
小選挙区で敗れ去るものが出てきます。
ああ、きちんと伝わってるんだ
と拳に力が入るわけですが、
間髪入れず、比例で復活、目が点に。。
という事がありました。
素知らぬ顔でこれからも政治家としてやっていかれるのでしょうが、
では、この人に対する意思表示とは、これまでの投票行為とはなんだったのかと、
大変踏みにじられた気分にまりました。
あれは茶番か!と
怒りのあまり数日間眠れずにいます。
組織も大事ですが、
人を見なくてはなりません。
この党を応援するから、
とりあえず入れるというのは、
もう 古いんではないかと思います。
党の流れ、
あっちの流れ、
こっちの流れ、
民意もその大雑把な感覚に流され、
あっちに入れ、こっちに入れ、
流行り物のようで嫌になります。
そして、その流行の衣をまとった異物が紛れていることに
気付かず、その微風が
やがて音も無くであちらこちらで黒い根を張る。
そのささやかな風を黙って見過ごすわけにはいかんのです。
さあ、
風を感じよとは思う。
しかし、風の中に歩む者の群中に、
悪意を持った瞳が存在することがあり
それを違和感として捉えることが出来なければ、
城内に敵兵を伏させることに等しい。
それが見えぬか?
いいのかそれで。
伏しながらも怪しく光る瞳に気付け。
彼らの用いる比喩に惑わせれてはいけない。
わたくしの力のなさに嫌気がさす。
わたくしは何故ここにいるのか。
今だけはあそこにいたい。
おい、待てよと、
あの衣をはがしてやりたい。
導くびき者も
いつの間にか、細い鎖でその手足を
絡ませてしまったらしい。
今、手足を戻さないと、
人形にされてしまう。