世間一般で言われる優しさと、
僕の欲しい優しさとは少し食い違いがあって、
この時代、その優しさを知るものは、
やはりいけにえになって、
静かな場所で、
一人でたくさん受難しなくてはならないんだと思います。
悲しい事ですが。

また、
僕はやるべき事はそこにありたいと思っています。
時代が聖域を汚すのであれば、誰かが祈りを与え続けなければならない。

さあ、今日も鍼を手に。

2 コメント

  1. 生贄か…如何にも貴方らしい。私も本当の優しさを考えてましたので…人は苦労性にできてるのでしょうか。

    • コメントありがとうございます。そうですね、
      単純に自分の為に生きるようには出来てないようになっているようですね。
      もしそのようであれば、人に対して脳や感情をここまで与えられなかったと思います。

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