なにから何まで完全に自分自身で納得出来るまで
追求してやらないと気が済まない質で、
なんでも自分でやっていましたが、
最近は周囲が手を貸してくれます。
或いは見守ってくれます。
公私に関わらずそういう存在がいるわけです。
僕から、簡単に手を貸してくれとは言えないのですが、
それらの存在がただただ、僕には温かいわけであります。
平凡に思える日常、昼夜の巡り、
陰陽の流転、
呼と吸、四季、あらゆる事象の往来、
生き死に の螺旋の中にも、
様々な風景が見えるわけです。
全ての想いが血肉に響きます。
周囲の手を感謝されているブログイイですね〜。きっと幅が出てきたのでしょうね。助けたくなる人は、危なっかしいか、喜んで貰いたいっていう人かな?私は前者タイプで助けてもらってますが、友義君は後者でしょうね。
Michiさんを周囲が助けたくなるのは、
Michiさんが周囲を許容して受け入れているからですよ。
包容力があるからですよ。
僕は少し違います。
他をあまり寄せ付けることを良しとはしません。
僕の場合は手を取り合うんじゃなくて、
彼らが自分で考えて想像して歩いているのをみることでほっこりするんです。
また、同業者であってもそうでなくても、
何をみて 何を思って どこに向かっているか、
そこで道を接する事の出来るものの存在を感じる事が出来るとき、
それを僕は温かいものと感じます。
ずっと一人でやんなきゃいけないと思っていたし、
正直、どこかでいつも、くだらないなあと多くの事で思っていたので、
そうでないことが、なにやら温かいです。
Michiさんもそういう要素の一つですよ。
ありがとうございます。
僕がやるでしょ、
種を落ちるでしょ。
芽が出るでしょ。
それが 各々の命を延ばし始めるでしょ。
それが 実に温かいのですよ。
僕は 照れくさいので、並列して一緒に咲こうとは思わないのです。
こっそり種をまく。
そしてほっこりしながらこの世を預けて去る。
(他にもやるべきことがいろいろあるので。)
それが僕の生き方で際限ある命の括り方です。
返信コメントが詩的でいいなぁ。私も孤独で、それが感受性に触れると幸せに思えますね。結構人の事も自分の事も冷静に見てたりします。ま、好奇心の塊ですが(^^)友義くんの酷く疲れた感じと怖い程の情熱のアンバンスの中のバランスが好きです。