どうも、新川です。
先日、古本屋でおもしろい本を見つけたので、
御報告させて頂きます。
『職人衆昔ばなし』 著: 斎藤 隆介
絵本作家である 斎藤 隆介さんが、
「人間国宝から市井の大工」まで、
明治生まれの職人さん達からお話を伺ったものです。
読み進めていくと、
実際に職人さんが語られているのを、
横で聞いているような臨場感のある構成となっております。
たまに職人さんがグチっぽくなるようなところも、
人間性が出ていておもしろいところです。
職人さんのこだわりや、意地、心意気などが
垣間見られる 一冊となっております。
さて今回は、
刺腰痛篇についてです。
今回は、刺腰痛篇について綴って参ります。
本来ならここにまとめてある以上の内容がありますが、
なるべく分かりやすくするため、
一部を抜粋して表現させて頂いております。
【刺腰痛篇 四十一】
☆腰痛の病理に関しては、
腎虚に属するものが多いが、
十二経脈と奇経八脈に病変があれば、
すべて腰痛の原因となり得る。
●足太陽膀胱経に病変が発生すると、腰痛が起こる
→痛みは項背から臀部にかけて引っぱられるようで、
ちょうど重い物を背負っているような感じである。
太陽膀胱経の郄中(委中)穴を刺すべきである。
もし春季なら瀉血してはならない。
●病が少陽胆経に発生して腰痛が起こった場合
→痛みの状態は鍼で皮中を刺すようで、
動作が不便となり、俯いたり仰いだりができなくなり、
左右に首を回してものを視ることもできなくなる。
少陽胆経の成骨(脛骨)の起点を刺して出血させるべきである。
成骨は膝外側の骨突起のところにある。
もし夏季であれば瀉血してはならない。
●病が陽明胃経に発生して腰痛が起こった場合
→痛みが起こるとすぐに首を左右に回すことができなくなる。
もし回そうとすれば、眼がかすみ、さらに悲嘆しやすい精神状態となる。
陽明胃経の䯒骨前(三里穴)を三回刺し、
その上下を調和させるべきである。
これを刺して出血させるのであるが、
秋季には瀉血してはならない。
●病が足少陰腎経に発生して腰痛が起こった場合
→痛みは背骨の内縁にひびく。
少陰腎経の内踝上(復溜穴)を二回刺すべきである。
もし季節が春季であれば、瀉血してはならない。
出血が多すぎると、病は回復しにくい。
●病が厥陰肝経に発生して腰痛が起こった場合
→腰部がこわばり硬くなり、ちょうど弓の弦を張ったようになる。
厥陰肝経を刺すべきである。
ふくらはぎとかかとの中間で、魚の腹状に突出した部分の外側に、
手でなでると珠を貫ねたように触れる部分(蠡溝穴)を鍼で刺せ。
もし病人がよくしゃべったり、あるいは黙々として言葉が明白でないようであれば、
刺鍼は三回しなくてはならない。
●病が※解脈に発生して腰痛が起こった場合
→痛みは肩にひびき、眼がぼんやりしてものがよく見えなくなり、
しばしば小便をもらすこともある。
ちょうど帯をかたく引き締められたようであり、
常に腰部が折れてしまうかと思うほど痛み、
恐怖感が起こりやすい。
解脈を刺鍼するには、委中の部分で、黍の粒くらいの血絡を刺すと、黒血が射出される。
血の色が赤く変わったら止めよ。
※解脈
→足太陽経に脈に属する。
王冰の説
「二脈が縄の解けるように分かれた状態なので、解脈という。」
これによれば、いわゆる「解脈」とは、
経脈の分枝であり、一が分かれて二となるので、解脈と称する。
●※同陰の脈に発生して腰痛が起こった場合
→痛みが始まるとちょうど小さな錘が腰の中に入っていて動くようであり、
しかも筋脈が突然に怒張して腫れる。
同陰の脈を刺鍼するには、外踝の上で絶骨(懸鐘穴)の端を三回刺すとよい。
※同陰の脈
→王冰の説
「足少陽経の別絡であり、少陽経と並んで上行し、
足外踝の上の同身寸で五寸の部位で、
別れて厥陰に行き、〔厥陰〕経とあわさって下り、
足根部を絡うので同陰脈という。」
●病が陽維の脈に発生して腰痛が起こった場合
→痛む場所が急に怒張して腫れる。
陽維の脈を刺鍼するには、陽維脈と太陽膀胱経とが、
足のふくらはぎの下の真ん中、地面から一尺ばかりの部位(承山穴)で
相互に会合しているので、ここを刺すべきである。
●病が※衡絡の脈に発生して腰痛が起こった場合
→俯くことも仰向くこともできなくなり、仰向けば転倒しそうになる。
これは力まかせに重い物を持ち挙げたために腰を傷め、
横絡の脈が阻絶して不通となり、瘀血が裏面に凝滞しているためである。
委陽と殷門の二穴を刺すべきである。
この二穴は委中の上数寸に横居している。二回刺して出血させる。
※衡絡の脈
→張志聡の説
「衡は横である。帯脈は腰間を横に絡する。
そこで横絡の脈という。
足の三陽脈は、腰を巡って下り、足の三陰脈および奇経の脈は、みな腰を循って上る。
病めば則ち上下は通ぜず、陰陽の間は阻まれて、腰痛の証となる。」
●病が※会陰の脈に発生して腰痛が起こった場合
→痛めば発汗し、汗が引けば水を飲みたがり、
飲み終えれば行動不安な状態が現れる。
直陽の脈上を三回刺すべきである。
それは陽蹻脈上の委中穴の下五寸に横たわっているので、
その中の充満している血絡を見つけ、これを刺して出血させよ。
※会陰の脈
→会陰はもともと穴名である。
会陰の脈についての張志聡の説
「任脈は至陰に起こり、督脈と交会し、分かれて上行する、そこで会陰の脈という。」
●病が飛陽の脈に発生して腰痛が起こった場合
→痛む場所の筋絡が突然に怒張して腫れ、
甚だしいときは情志が失調して悲しんだり、恐れたりする。
飛陽の脈を刺すべきで、内踝の上五寸、少陰腎経の前で、
陰維脈と相会する所を刺すべきである。
※飛陽の脈
→『霊枢』経脈篇に
「足太陽経から別れる経脈は、名づけて飛陽という。
外踝の上七寸から
●病が昌陽の脈に発生して腰痛が起こった場合
→痛みが胸にまでひびき、その上にものを見ると目がぼんやりとかすみ、
ひどい場合には腰背がそりかえり、
舌が巻きあがってものがいえなくなる。
内筋を二回刺すべきであり、
その穴位は内踝の上、大筋の前、太陰脾経の後、
足内踝上二寸の所にある。
※昌陽の脈
→馬蒔の説
「昌陽は、足の少陰腎経の経穴名であり、
別名を復溜という。
足少陰の脈は、その直行するものは、腎より上って肝隔を貫き、肺中に入り、喉嚨を循り、舌本を侠む。
その分支は肺より出て心に絡し、胸中に注ぐ。
そこで昌陽の脈が人に腰痛を起こさせると、その痛みは膺、すなわち胸の近くにひびくのである。」
●病が散脈に発生して腰痛が起こった場合
→痛むときに発熱し、熱勢が激しいと精神的にももだえて落ち着かず、
腰の下に横木があってふさがれているようであり、
激しい場合には小便をもらす。
散脈を刺すには、膝の前の骨と肉との間隙で、
外側に青筋が束になっているのを見つけて、三回刺せ。
※散脈
→太陰脾経の別絡であり、
散行して上行するので「散脈」と称する。
王冰の説
「これは太陰の別絡である。散行して上るのでこう名づけたのである。」
足太陽脈令人腰痛、引項脊尻背如重状。刺其郄中太陽正経出血。春無見血。
少陽令人腰痛、如以鍼刺其皮中、循循然不可以俛仰、不可以顧。刺少陽成骨之端出血。成骨在膝外廉之骨独起者。夏無見血。
陽明令人腰痛、不可以顧。顧如有見者、善悲。刺陽明於䯒前三痏、上下和之出血。秋無見血。
足少陰令人腰痛、痛引脊内廉。刺少陰於内踝上二痏。春無見血。出血太多、不可復也。
厥陰之脈令人腰痛、腰中如張弓弩弦、刺厥陰之脈、在腨踵魚腹之外。循之累累然、乃刺之。
其病令人善言、黙黙然不慧。刺之三痏。
解脈令人腰痛、痛引肩、目[目、荒の下部分][目、荒の下部分]然、時遺溲。
刺解脈、在膝筋肉分間郄外廉之横脈出血、血変而止。解脈令人腰痛、如引帯、常如折腰状、善恐。
刺解脈、在郄中結絡如黍米。刺之血射以黒。見赤血而已。
同陰之脈令人腰痛、痛如小錘居其中、怫然腫。刺同陰之脈、在外踝上、絶骨之端。為三痏。
陽維之脈令人腰痛、痛上怫然腫。刺陽維之脈、脈与太陽合腨下間、去地一尺所。
衡絡之脈令人腰痛、不可以俛仰。仰則恐仆。得之挙重傷腰。衡絡絶、悪血帰之。刺之在郄陽筋之間。上郄数寸衡居。為二痏出血。
会陰之脈令人腰痛、痛上漯漯然汗出。汗乾令人欲飲、飲已欲走。刺直陽之脈上三痏、在蹻上郄下五寸横居。視其盛者出血。
飛陽之脈令人腰痛、痛上拂拂然。甚則悲以恐。刺飛陽之脈、在内踝上五寸、少陰之前、与陰維之会。
昌陽之脈令人腰痛、痛引膺、目[目、荒の下部分][目、荒の下部分]然、甚則反折、舌巻不能言。刺内筋為二痏、在内踝上大筋前、太陰後上踝二寸所。
散脈令人腰痛而熱。熱甚生煩、腰下如有横木居其中。甚則遺溲。刺散脈、在膝前骨肉分間、絡外廉束脈。為三痏。
肉里之脈令人腰痛、不可以咳。咳則筋縮急。刺肉里之脈為二痏。在太陽之外、少陽絶骨之後。
腰痛侠脊而痛至頭、几几然、目[目、荒の下部分][目、荒の下部分]欲僵仆、刺足太陽郄中出血。
腰痛、上寒、刺足太陽、陽明。上熱、刺足厥陰。不可以俯仰、刺足少陽。中熱而喘、刺足少陰、刺郄中出血。
腰痛上寒不可顧、刺足陽明。上熱、刺足太陰。中熱而喘、刺足少陰。
大便難、刺足少陰。少腹満、刺足厥陰。如折不可以俯仰、不可挙、刺足太陽。引脊内廉、刺足少陰。腰痛引少腹控[月少]、不可以仰、刺腰尻交者、両髁胂上。
以月生死為痏数。発鍼立已。左取右、右取左。
参考文献:
『黄帝内経素問 中巻—現代語訳』
『中医基本用語辞典』 東洋学術出版
『臓腑経絡学』 アルテミシア
『素問ハンドブック』 医道の日本社
新川
斎藤隆介さん、聞きおぼえがあると思ったら「モチモチの木」「べろ出しチョンマ」を書いた人だったんですね。
子供の時はモチモチの木の切り絵風の挿絵がちょっと怖くて苦手でしたが大人になって再度読んだら実は心に響く素晴らしい本だったことに気付きました。
今の時代、こういう本を作れる人はいないかもしれません。
本屋に行けばあふれるほどの絵本がありますが読んでみても全然後に残らなかったり作者の意図が透けて見えるものも多いです。
(読者をこう思わせようと誘導しているかのような)
子供相手だからといって子供だまし程度の内容の薄いものを安易に作ってほしくないなぁ・・・
と絵本好きオバチャンの一人として憂えております。
こんにちは。
おコメさん、コメントありがとうございます。
子供向けだからこそ、
シンプルで分かりやすく、
核心をつくものが必要なのかもしれません。
一切のまやかしがきかないわけですから。
ちなみに切り絵風の挿絵は、
滝平 二郎(たきだいら じろう)さんの
作品とのことです。
お二人とも既に他界されておられますが、
それでもこうして作品が評価されること。
人々の記憶に残ること。
よい仕事はいつまでも残り続けますね。
新川
こんにちは。
いつもお世話になっています。
職人さんと言えば、
滋賀に穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる石垣職人さんがいるのですが、
まさに「職人技」です!
大きな石を経験とカンで積み上げ、石垣を作っていかれるのですが、
すごい事に、積んだ石を押しても引いても全く動かないのです!
まるで石と気持ちが通じ合っているというか、会話してるのでは? 、と思わせる程です。
織田信長の時代から伝わる技法らしくて、それが今日まで受け継がれている事も、
本当にすごいな~と驚きました。
自分の腕と経験でモノを創り上げるって、素晴らしい職人技だと思います。(*^。^*)
こんにちは。
かんころもち さん、
コメントありがとうございます。
安土桃山時代から現代まで生き続ける技術、
是非一度じっくり安土城や彦根城の石垣を鑑賞したいものです。
学生時代は、歴史が苦手でしょうがなかったですが、
関西に来てからというもの、
豊富な歴史の遺産に触れることが多く、
大変勉強になります。
教科書には決して載ることはありませんが、
そのような職人さんのお話をお伺いすると、
ますますのめり込みそうになってしまいますね。
新川
お城が大好きでワクワクしながら天守閣を眺めていたら、
その天守閣の土台となり、長い年月支え続けている石垣もすごい! と思い、興味を持ちました。
以前、安土城祉に行った際、石垣に気を取られ石段で足を踏み外し、
思いっきり転んでしまいました。
気がつくと空を仰いでいたという状況だったのですが、
不思議なことにケガひとつしませんでした。
石段で頭を打たなくて良かったです(汗)
まだまだ若いとチョット思いました(*^。^*)
もし安土城祉に行かれる際はくれぐれも足元にお気を付けくださいませ。
関西は史跡の宝庫なので肌で歴史を感じる事ができ、
この地に住めてほんとに幸せだな~と思っています。
かんころもち さん
お城好きの方でも、
好きなポイントは人それぞれにあるんですね。
お怪我がなくてよかったです。
お城の階段などは、
攻め込まれにくいようにわざと進みにくいようになっているので、
気をつけないといけませんね。
いつも、コメントありがとうございます!
新川