今の団塊の世代から上の人達は
めまぐるしい時代を生きてきました。
戦後いっきに経済大国になり、大きなショックがあり
激しく揺れ、やがて軋みながらも安定を得、
彼らの人生はまるで物語の起承転結の如きで
その中の結ともいえる部分において、
美しく自分たちを締めくくろうとしているように思える。
彼らの激動やパッションってのはすでに彼らの過去や
生きてきた道にすでに備わっているがため、
結を大事にするあまり、
それを崩さないようにするあまり、
結した、結びきった時代だけを次の世代に
見せようとしているように思えるのは非常に残念なことだ。
新しい世代にとってすでに成された結末は
起承転結の末の結でなく、
結から動かない停滞の人生であるから。
このまま、
守るべき過去も持たないまま、汗を知らぬままにして
人生を結びきっていいのだろうか。
そして、今、風が起こっている。
再び結んだ時代から起の時代が芽を出そうとしている。
紡ぐなよ。
自分たちの結論の為に未来をつむぐなよ、先輩達。
次の世代のいきにえになるべきではないだろうか。
それが美しいの結し方だと僕は思う。
いかがだろう。
少なくとも僕はきれいな箱に入れて死ぬぐらいなら
何かの肥やしとなって死んでいきたい。
日本は次の物語を開いていくべきだ。
今、その目次が見えてきたぞ。
さあ、開け。
青い芽よ、太陽の下に臥すな。
開け。
時代はきっとこれまで定めてきたあらゆる境界を
曖昧なものにする。
眼を開かなければ
ものさしを失い、歩くことも出来なくなるぞ。
それさえ望まぬのなら
臥したまま安楽なる人生を送ればよい。
言うことはなにもない。
林