嵐山の梅 2012年4月2日
嵐山の梅 2012年4月2日

どうも、新川です。
先日、嵐山に出かけた際、
ようやく満開の梅を見ることが出来ました。

梅にしろ、桜にしろ
例年より開花が遅れているようですが、
それでも
堂々と咲き誇る木々を見ていると、
凛とした気持ちになります。


さて今回は、
瘧論篇についてです。


今回は、瘧論篇について綴って参ります。
本来ならここにまとめてある以上の内容がありますが、
なるべく分かりやすくするため、
一部を抜粋して表現させて頂いております。


【瘧論篇 第三十五】

本篇の内容は瘧疾について専門的に討論し、
その原因や病理、症状、治療などを包括して
系統的にまた詳細に論じている。
その当時、すでに瘧疾〔マラリアなどの「おこり」症状〕について、
かなり詳しく研究されていたことを知るに充分である。
本篇は瘧疾について専論する内容であるため、
篇名を「瘧論篇」という。


☆瘧疾の症状
→悪寒戦慄・高熱・汗が出る・定期的に発作を起こす
体毛が粟起・手足を伸ばす・あくびが何度も出る
顎がガクガクする・腰や背中の痛み・冷飲

☆瘧疾の原因

黄帝がいう。
「どのような邪気がこのような病症を起こすのか。
どうかその理由を聞かせて頂きたい。」
岐伯がいう。
※1陰と陽はそれぞれ上下して相い争い、
※2虚実が交互に現れ、
※3陰陽の虚実が相互に入れ替わるからです。

※1→王冰の説
「陽気は下行が極まると上り、陰気は上行が極まると下る。
そこで陰陽は上下して互いに争うことになるのである。」

※2陰と陽が交争して、
陰が勝てば陽は虚し、陽が勝てば陰は虚す。
瘧疾の発作はこのように陰と陽が交互に優勢となるため、
寒と熱とが現れる

※3これは陽が陰に併し、陰が陽に併して虚と実とが
交互に入れ替わるということを意味する

これらはいずれも夏に暑気に傷られ、
熱気が皮膚の内、
腸胃の外に留っているためです。
またそこは栄〔営〕気の居る所です。
暑熱のために汗孔が疎となり、
腠理が開いたところで、
さらに秋の涼しさにあえば、
汗の出た後に風邪を感受することになりますし、
水浴の後に水気を感受すれば、
〔風邪や〕水気は皮膚の内に留まり、
衛気の流れる所にともに居るようになります。
衛気は昼には陽分を循行し、夜には陰分を循行します。
このとき、邪気は陽とともに外に出て、
陰とともに内に迫るので、
陰陽内外で相互に迫るために、
毎日発作が生じるのです。」

●要点
瘧疾の形成はおおむね風寒・水気・暑熱などの病因を感受したことによる。


☆瘧邪は体内において、必ず衛気と逢って初めて発病する。

岐伯がいう。
「衛気が風府に至るごとに腠理は開き、
腠理が開けば邪気は侵入し、
邪気が侵入すれば発作が現れます。」


☆瘧疾の治療について
黄帝がいう。
「医経の中に、有余はこれを瀉すべきであり、
不足はこれを補うべきである、とある。
いま発熱は有余で、寒冷は不足である。
それなのに瘧疾のときの寒さは熱湯や火でも温めることができない。
その発熱に至っては、氷水でも冷やすことができない。
このような寒熱はいずれも有余不足に属するもののはずである。
この発寒・発熱が現れたときには、良医といえども制止することができず、
必ず自然に衰えるのを待って、はじめて鍼治療することができる。
これはどうしてなのか。どうか教えて頂きたい。」
岐伯がいう。
「医経の中に、高熱のときは刺鍼するな、
脈の乱れたときは刺鍼するな、汗が出て止まらないときには刺鍼するな、とあります。
これは邪気が盛んで気逆しているので、まだ治療を施してはいけないということです。
瘧疾が初めて発作するときには、陽気は陰分に併居しており、
このときには陽虚陰盛ですから、外表の陽気は虚しているため、
先ず悪寒戦慄が現れます。
陰気の逆乱が極まれば、そのなりゆきとしてまた陽分にに出て、
陽気と陰気とが外表で一緒になり、陰分虚・陽分実となります。
このときには先ず発熱して口が渇きます。
瘧疾の気が陽分に侵入すれば陽気が勝ち、
陰分に侵入すれば陰気が勝ちます。
陰気が勝てば寒が生じ、陽気が勝てば熱が生じます。
瘧疾は風寒の気の尋常でないものによります。
その発作は、陰陽の気がいずれも極まれば、一旦寒熱の症状はなくなりますが、
少しの間を置いて再び発作が出現します。
発作の起こったときには、火のように猛烈で、狂風暴雨のように迅速であるので対処すべきではありません。
このことを医経では、
邪気の盛んなのが極まったときには邪を攻めてはいけない。攻めれば正気を損なうことになる。
邪気が衰退したときに攻めればよい効果が得られる、といっています。
これはこのことを指したものです。
このため瘧疾の治療には、
まだ発作の起こる前で、陰気がまだ陽分に侵入せず、陽気がまだ陰分に侵入していないときに、
適当な治療を行えば、正気は損なわれることなく、邪気は消滅します。

すでに発作が起きていれば、医工も治療することができないのは、
このときには正気と邪気とが〔ともに〕逆乱しているためです。」
黄帝がいう。
「よくわかった。」

〔黄帝がいう。〕
「それでは。瘧疾はどのように治療するのか。
時間の早いとか遅いとかは、どのように判断するのか。」
岐伯がいう。
「瘧疾の発作が出るときは、ちょうど、
陰陽が入れ替わろうとするときであり、
必ず四肢の末端から始まります。
もし陽気がすでに邪に傷られていれば、陰分もまた必ず邪気の影響を受けます。
このためその発作が始まるより先に、
その四肢の末端を堅く縛り、邪気が入らないようにし、
陰気が出ないようにして、両者が入れ替わらないようにします。
堅く縛った後、その絡脈の状態を詳しく診察して、
孫絡が盛り上がって鬱血した部分があれば、全部刺して瀉血します。
これは真気が未だ邪気と会う前に行う一種の『迎えてこれを奪う』という治療方法です。


黄帝問曰、夫痎瘧皆生於風。其蓄作有時者何也。
岐伯対曰、瘧之始発也、先起於毫毛、伸欠乃作、寒慄鼓頷、腰脊倶痛。
寒去則内外皆熱、頭痛如破、渇欲冷飲。

帝曰、何気使然。願聞其道。
岐伯曰、陰陽上下交争、虚実更作、陰陽相移也。陽并於陰、則陰実而陽虚。陽明虚則寒慄鼓頷也。
巨陽虚則腰背頭項痛、三陽倶虚、則陰気勝、陰気勝則骨寒而痛、寒生於内。
故中外皆寒。陽盛則外熱、陰虚則内熱。外内皆熱、則喘而渇。故欲冷飲也。此皆得之夏傷於暑。熱気盛、蔵於皮膚之内、腸胃之外。此栄気之所舍也。
此令人汗空疎、腠理開、因得秋気、汗出遇風、及得之以浴。水気舍於皮膚之内、与衛気并居。
衛気者、昼日行於陽、夜行於陰。此気得陽而外出、得陰而内薄、内外相薄。是以日作。

帝曰、其間日而作者何也。
岐伯曰、其気之舍深、内薄於陰、陽気独発。陰邪内著、陰与陽争不得出。是以間日而作也。
帝曰、善。
其作日宴与其日早者、何気使然。
岐伯曰、邪気客於風府、循膂而下。衛気一日一夜大会於風府。其明日日下一節。故其作也晏。此先客於、脊背也。
毎至於風府、則腠理開、腠理開則邪気入、邪気入則病作。以此日作稍益晏也。
其出於風府、日下一節、二十五日下至骶骨、二十六日入於脊内、注於伏膂之脈。其気上行、九日出於缺盆之中。其気日高、故作日益早也。
其間日発者、由邪気内薄於五蔵、横連募原也。其道遠、其気深、其行遅、不能与衛気倶行、不得皆出。故間日乃作也。

帝曰、夫子言衛気毎至於風府、腠理乃発、発則邪気入、入則病作。今衛気日下一節、其気之発也、不当風府、其日作者奈何。
岐伯曰、此邪気客於頭項、循膂而下者也。故虚実不同。邪中異所、則不得当其風府也。故邪中於頭項者、気至頭項而病。
中於背者、気至背而病。中於腰脊者、気至腰脊而病。中於手足者、気至手足而病。衛気之所在、与邪気相合、則病作。
故風無常府。衛気之所発、必開其腠理、邪気之所合、則其府也。
帝曰、善。

夫風之与瘧也、相似同類。而風独常在、瘧得有時而休者、何也。
岐伯曰、風気留其処。故常在。瘧気隨経絡、沈以内薄。故衛気応乃作。
帝曰、瘧先寒而後熱者、何也。
岐伯曰、夏傷於大暑、其汗大出、腠理開発、因遇夏気淒滄之水寒、蔵於腠理皮膚之中、秋傷於風、則病成矣。
夫寒者、陰気也。風者、陽気也。先傷於寒而後傷於風。故先寒而後熱也。病以時作。名曰寒瘧。
帝曰、先熱而後寒者、何也。
岐伯曰、此先傷於風、而後傷於寒。故先熱而後寒也。亦以時作、名曰温瘧。
其但熱而不寒者、陰気先絶、陽気独発、則少気煩寃、手足熱而欲嘔。名曰癉瘧。

帝曰、夫経言有余者写之、不足者補之。今熱為有余、寒為不足。夫瘧者之寒、湯火不能温也。及其熱、冰水不能寒也。
此皆有余不足之類。当此之時、良工不能止。必須其自衰乃刺之。其故何也。願聞其説。
岐伯曰、経言無刺熇熇之熱、無刺渾渾之脈、無刺漉漉之汗。故為其病逆、未可治也。
夫瘧之始発也、陽気并於陰。当是之時、陽虚而陰盛、外無気。故先寒慄也。陰気逆極、則復出之陽。陽与陰復并於外、則陰虚而陽実。
故先熱而渇。夫瘧気者、并於陽則陽勝、并於陰則陰勝。陰勝則寒、陽勝則熱。
瘧者、風寒之気不常也。病極則復。至病之発也、如火之熱、如風雨不可当也。
故経言曰、方其盛時必毀、因其衰也、事必大昌、此之謂也。夫瘧之未発也、陰未并陽、陽未并陰。
因而調之、真気得安、邪気乃亡。故工不能治其已発、為其気逆也。
帝曰、善。

攻之奈何。早晏何如。
岐伯曰、瘧之且発也、陰陽之且移也。必従四末始也。陽已傷、陰従之。
故先其時堅束其処、令邪気不得入、陰気不得出。
審候見之、在孫絡盛堅而血者、皆取之。此真往而未得并者也。

帝曰、瘧不発、其応何如。
岐伯曰、瘧気者、必更盛更虚。当気之所在也、病在陽、則熱而脈躁、在陰、則寒而脈静。
極則陰陽倶衰、衛気相離。故病得休。衛気集、則復病也。

帝曰、時有間二日、或至数日発。或渇或不渇。其故何也。
岐伯曰、其間日者、邪気与衛気客於六府、而有時相失、不能相得。
故休数日乃作也。瘧者、陰陽更勝也、或甚或不甚。故或渇或不渇。
帝曰、論言夏傷於暑、秋必病瘧、今瘧不必応者、何也。
岐伯曰、此応四時者也。其病異形者、反四時也。其以秋病者寒甚、以冬病者寒不甚。以春病者悪風、以夏病者多汗。

帝曰、夫病温瘧与寒瘧、而皆安舍。舍於何蔵。
岐伯曰、温瘧者、得之冬中於風寒。気蔵於骨髄之中、至春則陽気大発、邪気不能自出。
因遇大暑、脳髄爍、肌肉消、腠理発泄、或有所用力、邪気与汗皆出。此病蔵於腎、其気先従内出之於外也。
如是者、陰虚而陽盛。陽盛則熱矣。衰則気復反入。入則陽虚、陽虚則寒矣。故先熱而後寒。名曰温瘧。
帝曰、癉瘧何如。
岐伯曰、癉瘧者、肺素有熱。気盛於身、厥逆上衝、中気実而不外泄。因有所用力、腠理開、風寒舍於皮膚之内分肉之間而発。
発則陽気盛。陽気盛而不衰則病矣。其気不及於陰。故但熱而不寒。気内蔵於心、而外舍於分肉之間、令人消爍脱肉。故命曰癉瘧。
帝曰、善。


参考文献:
『黄帝内経素問 中巻—現代語訳』
『中医基本用語辞典』 東洋学術出版
『臓腑経絡学』 アルテミシア
『素問ハンドブック』 医道の日本社

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみてあげて下さい。

新川

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