どうも、新川です。
二月といえば、節分やバレンタインなどの行事もありますが、
春の訪れをつげる
『梅の開花』
が楽しみな時期でもあります。
今年は寒さと乾燥が厳しいので、
余計に待ち遠しく感じてしまいます。
写真は福岡県太宰府市の太宰府天満宮の飛び梅ですが、
今年は寒さの影響か、観測史上最も遅い開花となってしまったようです。
こんなところにも寒さの影響が出てきております。
さて今回は熱論篇についてです。
今回は、熱論篇について綴って参ります。
本来ならここにまとめてある以上の内容がありますが、
なるべく分かりやすくするため、
一部を抜粋して表現させて頂いております。
【熱論篇 第三十一】
黄帝が問う。
「一般に、発熱の病はいずれも※1傷寒に属する。
しかし、その中でも治ることもあれば、死ぬこともある。
しかも、死ぬ場合のは往々にして六・七日の間に死に、
十日以上のときには治る。
これはどうしてなのか。私には理解できないので、ぜひその理由を聞かせて頂きたい。」
岐伯が答える。
「※2足の太陽経は諸陽を統率しています。その経脈は※3風府に連なり、
頭や背中の表面を覆っております。
つまり太陽は諸陽の主気として、一身の表を主っているのです。
もし、人が寒邪に冒されますと熱がでますが、
熱はひどくても死ぬことはありません。
しかし、※4陽経と陰経が同時に寒邪に冒されますと、
このときには死を免れることはありません。」
※1傷寒
→この場合、
広義の傷寒を指し、外感熱病の総称であり、
この篇で論じられている温病や暑病などの種々の熱病を包括するものである。
※2『巨陽なる者は、諸陽の属なり(巨陽者、諸陽之属也)』
巨陽:太陽のこと。
諸陽の属:張景岳 の説
「太陽は六経の長であり、陽分を統摂している。
そこで諸陽は皆その所属となる。
太陽の経脈は身体の頭部と背側の外表を覆っている。
そこで諸々の陽の気を主るのである。」
※3風府
督脈
取穴部位:外後頭隆起の下方にあり、後髪際を入ること1寸に取る。
足の太陽経、督脈、陽維脈の会合場所。
※4両感
表裏関係にある陰陽の両経が同時に冒されること。
両経とは、太陽と少陰、陽明と太陰、少陽と厥陰のことを指す。
例として、太陽経の表証に特徴的な悪寒・発熱・頭痛などの症状があり、
さらに少陰経の裏証に特徴的な、精神倦怠・だるさ・微脈などの症状を併せ持つ場合が挙げられる。
———————————————————————————————————————
黄帝がいう。
「どうか傷寒の症状を聞かせてほしい。」
岐伯がいう。
「傷寒の一日目には、太陽経が寒邪に冒されます。
そこで※1頭や項が痛み、腰や背中が強ばって伸びません。
二日目には陽明経が病を受けます。
陽明経は肌肉を主り、その経脈は鼻を挟んで、目に絡しています。
このため※2身熱や目の痛み、鼻の乾き、さらに安眠できないといった症状がみられます。
三日目には少陽経は胆を主り、その経脈は両側の脇を循行し、上って両耳に絡します。
このため※3胸脇部の痛みや耳聾などの症状がみられます。
もし、三陽経の経絡がすべて病に冒されても、まだ裏陰に伝入していないものは、
いずれも発汗させれば治ります。
四日目には太陰経が病を受けます。
太陰経の経脈は胃中に散らばり広がり咽喉に絡しています。
このため※4腹満や咽喉の乾きが現れます。
五日目には少陰に病が移ります。
少陰経の経脈は腎を貫き、肺に絡し、舌根に連絡しています。
このため※5口や舌の乾き、口渇などが現れます。
六日目には厥陰経に病が移ります。厥陰経の経脈は陰部を循って肝に絡しています。
このため※6煩悶や陰嚢の収縮がみられます。
もし、三陰三陽、五蔵六府がみな病に冒されれば、営衛は流れえなくなり、
五蔵の疎通が失われて死んでしまうのです。」
※1頭や項が痛み、腰や背中が強ばって伸びません。
→頭項部と腰背部は足の太陽膀胱経が循行している部位であり、
風寒がこの経絡に侵入すると、それらの部位に痛みを引き起こしたり、
風寒外束すると気血の流れが悪くなり、
頭痛や頚項強痛が起こる。
※2身熱や目の痛み、鼻の乾き、さらに安眠できない
・身熱
→陽明の『陽』とは、熱。『明』とは、明らかという意味である。
陽明病とは、外感熱病の病邪が完全に裏に入って全部化熱し、
正気の抗邪が有力で正邪の闘争が激しくなっている証候である。
病変部位として、すでに体表皮毛になく、
体内にあって全身に弥漫〔ビマン:一面に広がり満ちること。はびこること。〕し、
特に腸胃に結集している。
→張景岳 の説
「傷寒の多くは発熱する。
それをとりわけて身の熱とのみいうのは、
思うに陽明は肌肉を主り、身の熱が最も甚だしいためである。」
・目の痛み・鼻の乾き
→熱邪が深く潜伏して津液を焼くことによりあらわれる。
・安眠できない
→胸隔は陽明の表であり、
この部分の余熱が取れず、正気が損傷され、虚に乗じて余熱が胸隔に鬱結したり、
邪熱が陽明に伝入しまだ腑に入っていない段階で、邪熱が胸隔をかき乱すことで、
虚煩して眠れなくなる。
※3胸脇部の痛みや耳聾
→胸脇や耳は胆経の流注上にあり、
邪が侵入すると痛みや、機能の低下がみられる。
※4腹満や咽喉の乾き
・腹満
→腹脹満のことであり、腹部が脹満する症状をさす。
運化機能が不利となり、気機が鬱滞し、昇降が逆転すると生じる。
・咽喉の乾き
→太陰経である肺経が弱り、津液不足をおこし、咽喉を上潤できなくなる。
または、太陰病で陽虚裏寒がひどくなると、
津液を上昇させる力が弱まり、乾きを引き起こすことも考えられる。
※5口や舌の乾き
→少陰病には、虚寒証と虚熱証が存在するが、
熱盛傷陰となると、口や舌の乾きのほか、
発熱、無汗、水を飲んでも乾きが改善しにくいなどの症状がみられる。
※6煩悶や陰嚢の収縮
→厥陰病の特徴として、
寒のものと熱のものがあり、
かつ寒は熱に、熱は寒に転じやすい。
熱症状が強くなると、煩悶や発熱、下痢膿血を発症する。
また、厥陰肝経の流注は陰器に結んでいることから、
陰嚢の収縮をみることが考えられる。
☆方有執の『傷寒条弁』に
「一日、二日、三、四、五、六日とあるのは、
第一、第二、三、四、五、六といった順序を示したもので、
日数を限定したものではない。
その要点は、たとえば行程を計るようなもので、
このように病の進む行程をモデルとして立てておく、というにすぎない。」という。
———————————————————————————————————————
岐伯がいう。
「もし寒邪に両感していなければ、
七日目には太陽病が衰えて、頭痛は次第に軽減します。
八日目には陽明病が衰えて、腹満は軽減して正常となり、食欲も出てきます。
十一日目には少陰病が衰えて、口渇や舌の乾きもなくなり、※1くしゃみがよく出ます。
十二日目には厥陰病が衰えて、陰嚢も緩み、下腹部も次第にのびやかになってきます。
外邪が去ってしまったので、病気も〔日ごとに〕よくなるのです。」
※1『嚔す〔テイす〕』=くしゃみが出る
多紀元簡の説〔『霊枢』〕
「陽気が調和すると嚔が出る」という。
———————————————————————————————————————
黄帝がいう。
「先に両感するものは必ず死を免れないと説明されたが、その両感の邪を受けた経脈と、
対応する症状はどのようなものか。」
岐伯がいう。
「寒邪に両感した場合は、発病して一日目には太陽経と少陰経とが同時に冒され、
頭痛や口の乾き、煩悶感などが現れます。
二日目には陽明経と太陰経とが同時に冒され、
腹満や身熱、食欲不振、脈絡もなくおしゃべりするなどの症状が現れます。
三日目には少陽経と厥陰経とが同時に冒され、
耳聾や陰嚢の収縮、四肢の厥冷などの症状が現れます。
こうした症状があるうえに、さらに悪化して水漿〔のみもの〕も飲めなくなり、
意識が昏迷すれば、六日目に死んでしまいます。」
黄帝問曰、今夫熱病者、皆傷寒之類也。
或愈或死。其死皆以六七日之間、其愈皆以十日以上者、何也。不知其解。願聞其故。
岐伯対曰、巨陽者、諸陽之属也。
其脈連於風府。故為諸陽主気也。人之傷於寒也、則為病熱、熱雖甚不死。其両感於寒而病者、必不免於死。
帝曰、願聞其状。
岐伯曰、
傷寒 一日、巨陽受之。故頭項痛、腰脊強。
二日陽明受之。陽明主肉、其脈侠鼻、絡於目。故身熱、目疼而鼻乾、不得臥也。
三日少陽受之。少陽主胆、其脈循脇絡於耳。故胸脇痛而耳聾。三陽経絡皆受其病、而未入於蔵者、故可汗而已。
四日太陰受之。太陰脈布胃中、絡於嗌。故腹満而嗌乾。
五日少陰受之。少陰脈貫腎、絡於肺、繋舌本。故口燥舌乾而渇。
六日厥陰受之。厥陰脈、循陰器而絡於肝。故煩満而嚢縮。三陰三陽、五蔵六府、皆受病、営衛不行、五蔵不通、則死矣。
其不両感於寒者、
七日巨陽病衰、頭痛少愈。
八日陽明病衰、身熱少愈。
九日少陽病衰、耳聾微聞。
十日太陰病衰、腹減如故、則思飲食。
十一日少陰病衰、渇止不満、舌乾已而嚔。
十二日厥陰病衰、嚢縱、少腹微下。大気皆去、病日已矣。
帝曰、治之奈何。
岐伯曰、治之各通其蔵脈、病日衰已矣。其未満三日者、可汗而已。其満三日者、可泄而已。
帝曰、熱病已愈、時有所遺者、何也。
岐伯曰、諸遺者、熱甚而強食之。故有所遺也。
若此者、皆病已衰而熱有所蔵、因其穀気相薄、両熱相合、故有所遺也。
帝曰、善。治遺奈何。
岐伯曰、視其虚実、調其逆従、可使必已矣。
帝曰、病熱当何禁之。岐伯曰、病熱少愈、食肉則復、多食則遺。此其禁也。
帝曰、其病両感於寒者、其脈応与其病形何如。
岐伯曰、両感於寒者、
病 一日、則巨陽与少陰倶病、則頭痛、口乾而煩満。
二日則陽明与太陰倶病、則腹満、身熱、不欲食、譫言。
三日則少陽与厥陰倶病、則耳聾、嚢縮而厥。水漿不入、不知人、六日死。
帝曰、五蔵已傷、六府不通、営衛不行。如是之後、三日乃死、何也。
岐伯曰、陽明者、十二経脈之長也。其血気盛。故不知人。
三日、其気乃尽、故死矣。
凡病傷寒而成温者、先夏至日者為病温、後夏至日為病暑。暑当与汗皆出。勿止。
参考文献:
『黄帝内経素問 中巻—現代語訳』
『中医基本用語辞典』 東洋学術出版
『臓腑経絡学』 アルテミシア
『素問ハンドブック』 医道の日本社
※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみてあげて下さい。