どうも、新川です。
最近、乾燥と寒さが厳しくなっております。
暫くすると大寒(二十四節気の一つ)を迎え、
それを過ぎると、春へと向っていくことになりますが、
まだまだ春を実感するのは先になりそうです。
来るべき時に備えて、日々積み上げていく
今はそんな時期にあるような気がします。
さて今回は、
太陰陽明論篇についてです。
今回は、太陰陽明論篇について綴って参ります。
本来ならここにまとめてある以上の内容がありますが、
なるべく分かりやすくするため、
一部を抜粋して表現させて頂いております。
【太陰陽明論篇 第二十九】
太陰と陽明の二経は互いに表裏関係にある脾と胃の経脈を意味する。
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黄帝がいう。
「脾気が病むと、
四肢が正常に機能しなくなるのは
どういう理由か。」
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岐伯がいう。
「四肢の正常な機能は胃気が営らせ養うことによって営まれています。
ただし、胃の津液は直接に四肢の経脈に達することはできず、
必ず脾の運化機能を経て、水穀の津液が四肢に達しうるのです。
これが正常な生理状態です。
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いま、もし脾気が病めば、胃の津液を送ることができず、
四肢は水穀の精気を受けられません。
水穀の精気が日ごとに衰えていき、
経脈の運行もスムーズにいかなくなり、
筋肉や骨などが水穀の精気の営り養いを受けることができなくなってしまうために
四肢は正常に機能しなくなるのです。」
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黄帝がいう。
「脾が
一つの季節を主ることができないのは
なぜか。」
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岐伯がいう。
「脾は五行の中に土に属し、中央に位置しています。
四季に応じてその他の四蔵〔の長として〕主り、
※1各季節の終わりの十八日間に寄生する形で旺盛となりますが、
単独で一つの季節を主ることはできません。
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脾の働きは常に胃土の水穀の精華を転輸することです。
土というものの意味は、
万物を生じ養うことにあり、
天地が一切の生物を養うのと同様に、
その働きがなくなるときはありません。
※2そこで脾は上から下まで、頭から足まで、
水穀の精気を全身に輸送するのであり、
一つの季節だけに旺盛というわけにはいかないのです。」
※1『各おの十八日もて寄治す』
→土気は四季のうちで、
各季節の終わりの十八日間に寄生する形で旺盛となる。
すなわち、立春、立夏、立秋、立冬の前の十八日間がそれにあたる。
※2『上下して頭足に至る』
→張景岳の説
「脾は蔵府の根本である。
そこで上行して頭に至り、
下行して足に至るまで〔その働きの〕及ばない所はない。
であれば、どうして一つの季節〔一つの蔵〕のみを
主ることがあろうか。」
黄帝問曰、太陰、陽明為表裏、脾胃脈也。生病而異者何也。
岐伯対曰、陰陽異位、更虚更実。更逆更従。或従内、或従外、所従不同。故病異名也。
帝曰、願聞其異状也。
岐伯曰、陽者天気也。主外。陰者地気也。主内。
故陽道実、陰道虚。故犯賊風虚邪者、陽受之。食飲不節、起居不時者、陰受之。
陽受之、則入六府、陰受之、則入五蔵。入六府、則身熱、不時臥、上為喘呼。
入五蔵、則〔月真〕満閉塞、下為飱泄、久為腸澼。故喉主天気、咽主地気。
故陽受風気、陰受湿気。故陰気従足上行至頭、而下行循臂至指端。陽気従手上行至頭、而下行至足。
故曰。陽病者、上行極而下、陰病者、下行極而上。故傷於風者、上先受之。傷於湿者、下先受之。
帝曰、脾病而四支不用、何也。
岐伯曰、四支皆稟気於胃、而不得至経。必因於脾、乃得稟也。
今脾病不能為胃行其津液、四支不得稟水穀気。気日以衰、脈道不利。筋骨肌肉、皆無気以生、故不用焉。
帝曰、脾不主時、何也。
岐伯曰、脾者土也。治中央、常以四時長四蔵。各十八日寄治、不得独主於時也。
脾蔵者、常著胃土之精也。土者、生万物而法天地。故上下至頭足、不得主時也。
帝曰、脾与胃、以膜相連耳。而能為之行其津液、何也。
岐伯曰、足太陰者、三陰也。其脈貫胃、属脾、絡嗌。
故太陰為之行気於三陰。陽明者、表也。五蔵六府之海也。亦為之行気於三陽。
蔵府各因其経而受気於陽明。故為胃行其津液。四支不得稟水穀気。
日以益衰、陰道不利。筋骨肌肉、無気以生。故不用焉。
参考文献:
『黄帝内経素問 上巻—現代語訳』
『中医基本用語辞典』 東洋学術出版
『臓腑経絡学』 アルテミシア
人物イメージ画(黄帝、岐伯):為沢〔一鍼堂〕
※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみてあげて下さい。