こんにちは下野です。
そろそろ新年の準備を、
ということで年賀状を作成していたところ
「誰だこの方は?」と自らの親族でありながら
”?”が浮かぶことがありました。
以前に比べ、親戚同士で顔を合わすことも
少なくなったからなぁ〜と思っていたところ、
「家系図作成キット」なるものが人気を博している
という記事を見つけました。
僕自身、親の生年月日があやふやという
親不孝者ですので、家系図とまではいかなくても
少しは親族関係を知る努力をせねば
と思っております。
では『難経』第十八難②の記事に参ります。
<原文>
人病有沈滞久積聚、可切脈而知之耶。
然。
診、在右脇有積気、得肺脈結、
脈結甚則積甚、結微則気微。
診、不得肺脈、而右脇有積気者、何也。
然。
肺脈雖不見、右手脈当沈伏。
其外痼疾同法耶、将異也。
然。
結者、脈来去時一止、無常数、名曰結也。
伏者、脈行筋下也。
浮者、脈在肉上行也。
左右表裏、法皆如此。仮令脈結伏者、内無積聚、脈浮結者、外無痼疾、
有積聚脈不結伏、有痼疾脈不浮結、為脈不応病、病不応脈、是為死病也。
<現代語訳>
病が深く、長期間治らない積聚の病があるが、
これは脈診によって知ることができるのだろうか。
答え。
診察の際、右脇に積気がある場合は、肺脈に結脈が診られる。
結脈が甚だしいものは積気も甚だしく、結脈がわずかなものは積気も少しである。
診察し、肺脈が診られなくても、右脇に積気がある場合はどうなるのか。
答え。
肺脈に異常がなくても、右手の脈は沈・伏を呈すであろう。
外形上の治らずに残っている痼疾も、同様の診察方法で良いか、
それとも異なるのであろうか。
答え。
結脈の形態は、脈が来て去る際、時々とぎれて脈拍数が定まらないものをいう。
伏とは、脈気が筋の下で拍動するもの。浮とは脈気が肉の上を行くものである。
左右浮沈の診察法もこれと同じです。
もし脈状が結・伏であるのに内に積聚がなかったり、
脈状が浮・結であるのに外に痼疾がない、
或いは積聚があっても脈が結・伏でない、
痼疾があるのに脈が浮・結でない場合などは、
脈が病に対応していなかったり、病が脈に対応していないものは、
治療困難の死証である。
<解説>
この段では、積聚を患った患者を切脈より診断できると説明している。
ここでは例として、右脇に積気があると肺脈に結脈が診られるとし、
肺脈に異常が診られなくても右手の脈は沈・伏を呈すと伝えており、
この際、肺脈とは右手寸口を、右手の脈とは右寸関尺全てを差していると
考えられる。
では何故右手に出るのかとなると、
『難経鉄鑑』には岡本一抱と広岡蘇仙の、
(※書き方は、双方で多少の違いはあるようです。)
積の脈が全て上記のようになるのではなく
ただ病が(肺積)が右に出るため、右の脈に出ているとした
解釈が採用されています。
またこの段では、痼疾についても記載されており、
長期にわたり病んだもので
臓腑に至ったもの:積聚
底まで至ってないもの:痼疾
としており、理論的にはそのまま表裏を指し示すとした
解釈が考えられます。
<参考文献>
『難経解説』 東洋学術出版社
『難経鉄鑑』 たにぐち書店
※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみてあげて下さい。