・
こんにちは、為沢です。
たまに趣味でスケッチをしているのですが、
故・アインシュタイン博士を描いてみました。
(ただ、おじいちゃんを描きたかっただけです)
こうやって客観的に見ると、似てへんなぁとか思う訳ですが
一番気になるのが、絵に出る「癖」です。
僕の場合は、線が弱く筆圧が足りんなぁとか、
この絵はおじいちゃん感が足りひんなぁとか思うわけです。
性格が出るのでしょうか。思い切りが足りません。
鍼と絵は通じるところが沢山あり、
絵から学ぶことが多々ございます。
鍼も絵も、常に癖のない素直な表現ができることを僕は望んでおります。
では、今回の傷寒論は弁太陽病脈証并治(中)の四十九章と五十章。
四十九章では、表証に対して下法を行ない、陽虚となった場合、発汗法を行なってはいけないと述べており、
五十章では、表証に血虚が加わる場合は、発汗法を行なってはいけないと述べております。
脉浮數者、法當汗出愈。若下之、身重心悸者、不可發汗、
當自汗出乃解。所以然者、尺中脉微、此裏虚。須表裏實、津液自和、便自汗出愈。
和訓:
脉浮数なるものは、法当に汗出でて愈ゆべし。
若し之を下し、身重く心悸するものは、発汗するべからず、
当に自汗出でて乃ち解すべし。然る所以のものは、尺中の脉微に、此れ裏虚す。
表裏実するを須てば、津液自ら和し、便ち自汗出でて愈ゆ。
脈が浮数を示しているということは、邪が表にあり少し熱を帯びているということを示している。
従って汗をかかせて解いていくのがよい。
・若下之、身重心悸者、不可發汗、當自汗出乃解
誤って攻下法により、胃の陽気が損傷して裏が虚してしまい水を気化することができずに滞り
内湿となって身重を呈し、更にその水が心気に迫って心悸(動悸のこと)を起こしたのであり、
この場合は再度発汗法を用いてはならず、自ら汗が出て治るのを待つべきである。
・ 所以然者、尺中脉微、此裏虚
「尺中脉微」というのは裏の状況を示す尺位が脈微であれば、
下法を行ったために裏の陽気が虚になったということを示す。
・ 須表裏實、津液自和、便自汗出愈
「須」が待つという意。
従って、表裏の正気が回復するのを待てば津液は調和し、汗が出て自然に治っていく。
提要:
表証に対して下法を行ない、陽虚となった場合、発汗法を行なってはいけないと述べている。
訳:
患者の脈が浮数なら、原則的には発汗しさえすれば治癒する。
もしも誤って攻下法を用い、それによって身体が重く感じたり動悸して不穏となったものは、
さらに発汗させてはならない。自汗が出てひとりでに病証が除かれるを待つべきだ。
なぜなら、尺部の脈が微であれば、裏気は不足しているから、表裏の正気が回復するのを待てば
津液は調和し、その結果、自然に汗が出て病は愈えるのだ。
五十章
假令尺遲者、不可發汗。何以知然。以榮氣不足、血少故也。
和訓:
脉浮緊なるものは、法当に身疼痛すべし。宜しく汗を以て之を解すべし。
仮令尺中の遅なるものは、発汗すべからず。何を以て然りと知るや。
栄気不足し、血少なきを以ての故なり。
・脉浮緊者、法當身疼痛、宜以汗解之
「脉浮緊」であるから太陽傷寒で表寒実証の脈象であるため
当然身体は疼き痛む。この場合は汗をかかせて治療するのが良い。
・假令尺遲者、不可發汗。何以知然。以榮氣不足、血少故也
「栄」とは営と同義で、営血を表す。
仮に裏の状態を反映する尺脈が遅であれば、裏虚を示し営血が不足している。
これは血少のためである。この状態で発汗法を用いると”亡血、亡精”の証となるから
発汗法を用いてはいけない。
提要:
表証に血虚が加わる場合は、発汗法を行なってはいけないと述べている。
訳:
患者の脈が浮緊なら、原則的には身体が痛むはずで、これは発汗法で表邪を解除すればよい。
患者の尺部の脈がもしも遅ならば、発汗させてはならない。
発汗させてはならないとなぜわかるのであろうか。
それは患者の栄気が不足し、陰血が少なくなっているからだ。
参考文献:
『現代語訳 宋本傷寒論』
『中国傷寒論解説』
『傷寒論を読もう』
『中医基本用語辞典』 東洋学術出版社
『傷寒論演習』
『傷寒論鍼灸配穴選注』 緑書房
『増補 傷寒論真髄』 績文堂
『中医臨床家のための中薬学』
『中医臨床家のための方剤学』 医歯薬出版株式会社
生薬イメージ画像:
『中医臨床家のための中薬学』 医歯薬出版株式会社
為沢
※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみてあげて下さい。
癖=個性ですよね^^
一目見て誰かすぐわかるしこの絵の雰囲気は好きですョ。
模写って難しいです。
私自身はディック・ブルーナのミッフィーちゃんがいつも全く別物になってしまう程度の画力しかありません・・・
最近は見る方に専念していますがなぜ好きなのか言葉で説明できない画家ばかりにひかれます。(荒井良二さんとか草間弥生さん)
モンクの展覧会に行った時、展示されていたものがほとんどあの「叫び」路線だったので途中で気分が悪くなり全部見れませんでした。
ということはそれだけのパワーがモンクの絵にはあるってことですよね。
(まさか私がひ弱すぎた・・・?)
すいません、「ムンク」です、セロニアス・モンクとごっちゃまぜになっていました。
もちろん、例の「叫び」の絵も展示されていました。
おコメさん。
お褒めのお言葉頂きありがとうございます。
もちろん癖=個性ですので、尊重する部分はあるのですが
僕の場合は、絵のコツみたいなのが手に染みついてしまっているので
描き方がどこかワンパターンになったり、
上手に見せようとテクニックでごまかしたりしてしまうので
素朴なラインが描けへんな〜…というのが悩みなんです。
なので、アンリ・ルソーの絵なんかを見ると
絵画の基本を習っていない分、素朴な絵描きはるなぁ〜なんて関心します。
ムンクですね。
僕も数年前に兵庫県立美術館で観たことあります。
僕が観た展示会では、ムンクの代名詞である「叫び」が無かったので
あまり覚えていないですが、水面に映った独特の月の絵を多用していたのが印象的でした。
あと、おコメさんの仰る通り全体的にドンヨリした感じだったのは覚えてます。
いつもコメント頂きありがとうございます。