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こんにちは、為沢です。
今回は王惟一について御紹介致します。

王惟一おういいつ
(987年〜1067年)

王惟一の名は王惟徳おういとくといい、宋時代の医家です。
この時代から国家による医療政策が推進され
医学は急速に発達し、1057年には
医学書編集の「校正医書局」を設置されました。
当時、急速に進歩した印刷技術もあり、
『傷寒論』『金匱玉函経』『金匱要略』『千金方』『千金翼』
『脈経』『素問』『甲乙経』『外台秘要』などの
数多くの医学書が出版されました。
このような状況を背景に、経穴経脈の統一標準化したのが王惟一です。

王惟一の
『銅人腧穴鍼灸図経』(三巻)では
十二経脈、任督脈の経脈にもとづいて経穴が配列され、
経脈ごとに流注・病症を挙げています。
記載されている経穴名は354個で、穴数は675個にのぼっており、
経穴名、別名、位置、経脈、主治、刺灸法、避忌が記載され
『甲乙経』と比較すると、
青霊、厥陰兪、膏肓兪、霊台、陽関の経穴が増えております。

また、『銅人腧穴鍼灸図経』を
具体化した銅製の人形(兪穴銅人式)二体を鋳造しました。
銅人は成人男子の等身大で、体幹と四肢がそれぞれ取り外しができて
体表には657個の経穴が刻まれておりました。

現代では木製やシリコン製の物など、
色んな形で経穴人形が売られていますが、
その原型となる銅人を作った王惟一の功績は
計り知れません。

経穴人形
経穴人形

参考文献:
『東洋医学 基礎編』
『いちばんわかる!東洋医学のきほん帳』学研
『東洋医学概論』医道の日本社
『現代語訳◉黄帝内経素問』
『現代語訳◉黄帝内経霊枢』
『中国医学の歴史』
『中国鍼灸各家学説』東洋学術出版社

為沢

2 コメント

  1. 一体、どうやってこんな具体的に経絡と穴を発見したんでしょうか。不思議です。

    • ショーティーさんへ
      コメントありがとうございます☆
      経穴や経絡をどうやって発見したか?
      については具体的にはわかりませんが、
      古代の背景として、中国の世界観に
      「天人合一思想」があるため古人は自然法則を学び、
      それを人に反映させたのではないかと思われます。

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