<当院でのコロナウイルス対策のご案内>
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こんにちは、大原です。
東洋医学の古文書『黄帝内経』に出てくる
「聖人」とはどのような人なのか?
についてです。

以前の記事の中で
「聖人は既病を治すのではなく、未病を治す」とあり、
その「聖人」がどのような人かを説明した際、
自分なりに分かりやすくしてみようとしましたが、
本質的にちょっとずれているのではないか、
と危惧しておりました。

そのような中、最近
ある東洋思想について書かれた文献を読んでいると、
「聖人とはこのような境地にある」
という内容を見つけ、
本質が書き表されているのではないかと感じました。
ちなみにこちらの内容は
僧肇そうじょう(384~414)という思想家が
表したものだそうです。

聖人空洞其懐、無識無知、
然居動用之域、而止無為之境、
処有名之内、而宅絶言之郷、
寂寥虚曠、莫可以形名得、若斯而已矣
 ( 『意識と本質』岩波文庫 P.18より抜粋 )

読み方ですが、
拙者が考えたものを以下に記しております。
(修正すべき箇所や誤りなどが見つかりましたら
すみやかに訂正いたします、ご容赦ください。)

聖人空洞其懐、 (聖人、その懐を空洞にし、)
無識無知、  ること無く、知ること無く、)
然居動用之域、 (動用の域にりて、)
而止無為之境、 無為むいの境にとどまり、)
処有名之内、  (名の有るところの内におりて、)
而宅絶言之郷、 絶言ぜつごんの郷にすみ、)
寂寥虚曠、  寂寥せきりょうとして虚曠きょこう、)
莫可以形名得、 (形をもって名を得るべきことなし、)
若斯而已矣  (かくのごとくのみ。)

雨上がりの公園にて

■参考文献

『現代語訳◉黄帝内経素問 上巻』 東洋学術出版社
『意識と本質』 岩波文庫
『僧肇における「仏」の理解-至人と法身』日本印度学仏教学会
印度学仏教学研究 29(1), p302-305, 1980-12 谷川 理宣
(総合学術電子ジャーナルサイト「J-STAGE」より)

ご興味がおありでしたら、参考文献もご一読ください。

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