こんにちは、下野です。

先日、ある役者さんとミュージシャンが本音で語り合うという
番組が放送されておりました。
僕の中では破天荒な者同士だと思っていましたが、
このお二人が日本の教育のあり方、社会のあり方を熱く語ったところを見ていると
色々と考えさせられ、同時にとても格好良く見えました。
今回の番組で、今まで以上にお二人を好きになりました!

では、ここからは『難経』第十七難に参ります。


<原文>
十七難曰、経言、病或有死、或有不治自癒、或連年月不以已。
其死生存亡、可切脈而知之耶。

然。
可尽知也。診病若閉目不欲見人者、脈当得肝脈強急而長。
而反得肺脈浮短而渋者、死也。
病若開目而渇、心下牢者、脈当得緊実而数。
反得沈渋而微者、死也。
病若吐血、復鼽衂血者、脈当沈細。
而反浮大而牢者、死也。
病若譫言妄語、身当有熱、脈当洪大。
而反手足厥逆、脈沈細而微者、死也。
病若大腹而泄者、脈当微細而渋。
反緊大而滑者、死也。


<現代語訳>
「病には死んでしまうもの、治療しなくても自然に治るもの、長い年月治らない場合がある。」と
医学経典には書かれているが、これら死生存亡を脈診から知る事は出来るのか。

答え。
勿論、知ることができる。
診察の際、目を閉じて人を見ないようにしている者は強・急で長の肝脈を呈すはずである。
もし、浮・短で渋の肺脈が表れた場合は死証である。

病人が目を開けて喉が渇き心下が硬い時は、緊・実で数の脈が得られるが、
もし、沈・渋で微の脈が表れた場合は死証である。

もし病人が吐血したり、また鼻血を出す場合、脈は沈・細になるはずである。
だが反対に浮・大で牢の脈が表れた場合は死証である。

病人が譫言や訳の分からないことを口走った時は、体には熱があり洪・大の脈を呈すはずである。
だが反対に手足が冷たく、沈・細の脈が表れた場合は死証である。

もし病人の腹がふくれて下痢する場合、脈は微・細で渋のはずである。
だが反対に、緊・大で滑の脈が表れた場合は死証である。


<解説>
症状と脈象を照らし合わせると予後の良否を予測する事ができ、
本難では病証と脈象が一致すれば良好、符合しなければ予後不良と説明されており、
その例が示されている。

・目は見る事を常とする器官で、陽気が開通し肝木が発揚することで”見る”ことができる。
肝が病むと陽気が鬱閉し伸びやかでなくなるために、目を閉じるようになり、
この様な時は、陽気が抑鬱されている強急で長の脈(弦脈)を呈す。
もし浮短で渋の脈を呈せば、それは気血が衰敗したために目を閉じてしまった状態である。
その様な場合の予後は不良となる。

・目は開閉するのが常であるが、気が化火し上行したままであると目が閉じなくなる。
また化火したことで、陰液が涸れ口渇が表れ、心に気が凝滞ることにより心下が硬くなる。
この様な時は堅・実・数を呈すが、もし沈・渋で微の脈が表れた場合は
陰血が衰えた為に起こったもので予後不良となる。

・吐血や鼻血を出すものの脈は、血が虚し沈・細を呈すが、
反対に浮・大で牢の脈が表われ場合は予後不良となる。

・邪熱が強いと、身熱や譫言、訳の分からないことを口走る際は
洪・大の脈を呈すが、反対に手足が冷え沈・細の脈が表れた場合は
真陽の衰えのためであり、予後不良となる。

・腹部膨満と下痢は脾湿下陥が考えられ、この時は微・細で渋を呈すが、
反対に緊・大で滑の脈が表れた場合は予後不良となる。


<参考文献>
『難経解説』 東洋学術出版社
『難経鉄鑑』 たにぐち書店

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