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こんにちは、大原です。
3回ほど前の記事から
『霊枢』終始篇の内容を確認していってますが、
治療についての具体的な考え方が記されており
重要なところです。
最後の方にキーワードであろう「終始」が出てきます。
では前回からの続きをみていきたいと思います。
(前回:『霊枢』の「終始」 その8)
<原文>
所謂氣至而有效者、寫則益々虚。
虚者脉大如其故而不堅也。
堅如其故者適雖言快、病未去也。
補則益実。実者脉大如其故而益堅也。
夫如其故而不堅者適雖言快、病未去也。
故補則実、寫則虚。痛雖不隨鍼、病必衰去。
必先通十二經脉之所生病而後可得傳于終始矣。
故陰陽不相移、虚實不相傾、取之其經。
<読み>
いわゆる氣が至って効が有りとは、
寫するときは則ち益々虚す。
虚する者の脉、大きさ其の故のごとくして堅からざるなり。
堅きこと其の故のごとくなるは、適快と言うといえども、病いまだ去らざるなり。
補するときは則ち益々実す。
実する者の脉は、大きさ其の故のごとくして益々堅きなり。
夫れ其の故のごとくして堅からざる者は、適快と言うといえども、病いまだ去らざるなり。
故に補するときは則ち実、寫するときは則ち虚す。
痛み鍼に隨ずといえども、病は必ず衰え去る。
必ず先ず十二經脉の病の生ずる所に通じて後に終始に伝うるを得べし。
故に陰陽相移せず、虚実相傾かざるは、これをその経に取るなり。
ここは、
鍼治療において
「いわゆる気が至って治療の効果がある」とはどういうことか?
という一文から始まっていますが、
これは前回の記事の一番最後の
「およそ刺の道は、気調って止む」に対するものです。
それってどういうこと?
ということが書かれています。
内容は、上述の<読み>を読むと大体分かりますが、
以下のようになります。
(1)
瀉法の治療を行った場合
→虚の状態となりその脈はもとの状態のようではあるが「堅」ではない
→もし「堅」の状態であれば、患者さんが「快い」と言ったとしても病は去っていない
(2)
補法の治療を行った場合
→実の状態となりその脈はもとの状態のようではあるが「堅」である
→もし「堅」でない状態であれば、患者さんが「快い」と言ったとしても病は去っていない
つまり、(1)瀉法で気が至った場合には、
脈が「堅」でなくなり、
もし治療後も脈が「堅」であれば
それは気が至っておらず、
もし患者さんが「もう大丈夫」と言ったとしても
病は去っていないと診るべきであるということになります。
((2)の補法も同様)
このように、治療によって気が至ったのであれば
「痛み鍼に隨ずといえども、病は必ず衰え去る。」
とあり
治療の効果はその時は現れないにしても、
必ず治っていくとあります。
その逆に、ここでは書かれてはいませんが
治療によって気が至っていなければ、
その時は治ったように感じていたとしても
病は去っていないので治っていかず、
また後で症状が現れてくるということでしょう。
さて、最後の
「必ず先ず十二經脉の病の生ずる所に通じて後に終始に伝うるを得べし。
故に陰陽相移せず、虚実相傾かざるは、これをその経に取るなり。」
ですが、
「終始」の意味に注意して訳されたものを確認すると
「患者さんの治療にあたっては、
必ずまず十二経脈中のいずれの経脈の領域に病があるのかということを確認して通暁し、
それに基づいて正しく補瀉の刺法を実施して、陰陽の気を調和せしめ、
それによって宇宙間の根本原理たる永遠の軌道の上を転ぜしむることができるのです。
もし患者さんの体が陰陽いずれの方向にもずれておらず、
よく平衡を保ちまた虚でもなく実でもないような場合には、
ただ異常のあるその経だけを刺せば良いのです」
とあり、深い意味が読み取れます。
(『鍼灸医学大系 黄帝内経霊枢』第15巻 808ページより抜粋)
続きます。
参考文献
『鍼灸医学体系 黄帝内経霊枢』第15巻 雄渾社
『現代語訳◉黄帝内経 霊枢』上巻 東洋学術出版社
ご興味のおありの方は、ぜひ参考文献もお読みください。