為沢です。
今回より張景岳の『類経』について
原文と書き下し文を紹介させて頂きます。
『類経』とは明代の名医・張景岳(1563年〜1640年)が
『素問』『霊枢』の条文を
摂生・陰陽・蔵象・脈色・経絡・標本・
気味・論治・疾病・針刺・運気・会通など
12種に分類し編注を施した名書でございます。
攝生類
一、上古之人春秋百歲今時之人半百而衰
(素問上古天真論)
昔在黃帝,生而神靈,弱而能言,
幼而徇齊,長而敦敏,成而登天。
按史記:黃帝姓公孫,名軒轅,有熊國君少典之子,
繼神農氏而有天下,都軒轅之丘,以土德王,故號黃帝。
神靈,聰明之至也,以質言。徇,順也。齊,中正也。
敦,厚大也。敏,感而遂通,不疾而速也。
此節乃群臣紀聖德稟賦之異,發言之早。
方其幼也,能順而正;及其長也,既敦且敏。故其垂拱致治,教化大行。
其於廣制度以利天下,垂法象以教後世,自古帝王,無出其右者。
成而登天,謂治功成,天年盡,在位百年,壽百十一歲而升遐也。
凡人之死,魂歸於天,今人云死為昇天者,蓋本諸此。
世傳黃帝后鑄鼎於鼎湖之山,鼎成而白日昇天者,似涉於誕。
徇,徐俊切。長,上聲。
和訓:
上古の人は春秋百歲、今時の人半百にして衰う
(素問上古天真論)
昔黃帝あり。生まれながらにして神靈,
弱にして能く言い,幼にして徇齊,長じて敦敏,成りて登天す。
按ずるに史記に、黃帝姓は公孫,名を軒轅,有熊國の君少典の子,
神農氏に繼いで天下に有り,軒轅の丘に都し以て,土德の王,故に黃帝と號す。
神靈,聰明の至りなり,質を以って言う。
徇は順なり。齊は中正なり。
敦は厚大なり。敏は感じて遂く通じ,疾からずして速きなり。
此の節の群臣 聖德の稟賦の異い發言の早きを紀す。
其の幼なるに方って也,能く順にして正;
其の長ずるに及ぶなり,既に敦且つ敏。
故に其の拱を垂れ治を致して,教化大いに行る。
其の制度を廣め以て天下を利し,
法象を垂れて以て後世に教える,古より帝王,其の右に出る者なし。
成りて登天,治功成って,天年を盡くし,
位在ること百年,壽百十一歲にして升遐するなり。
凡そ人の死,魂は天に歸す,
今の人が云う死は昇天となす者,蓋し諸此れに本づく。
世に傳わる黃帝后に鼎を鼎湖の山に鑄る,
鼎成りて白日昇天する者は,誕に渉るに似たり。
徇は,徐俊切。長は,上聲。
オレンジ色で表している文章が
『素問』上古天真論にある条文で、
緑色の文章が張景岳による解説です。
要約すると、黄帝の人となりについて語っております。
黄帝についての記事を過去に記載してあるので
興味のある方は↓こちらもご覧下さい。
https://www.1sshindo.com/blog/zenith17139/
大分暖かくなってきましたね。
参考文献:
『类经』中医古籍出版社
『和訓語註 類經講話 一』績文堂出版
『現代語訳◎黄帝内経素問 上巻』東洋学術出版社
※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。
為沢