こんにちは、大原です。
1ヶ月ほど前のブログ「魂はいつ宿るのか?」の
続きです。
前回は『魂のありか』という本をもとに、
『諸病源候論』という書物の内容の、
胎児の成長の一番最後の段階(妊娠十月)で
精神が宿るというところをみていきました。
では、それまでの胎児の成長の中で
精神面について書かれては
無いのでしょうか?
ざっとみてみましょう。
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『諸病源候論』妊娠候より
妊娠一月、名づけて始形と曰う。
飲食成熟し、酸美く受御し、大麦を食すること宜し。
腥(なまぐさく)、辛の物は食すること無し、
これ才貞という。足の厥陰、これを養う。
足の厥陰なる者、肝の脈なり。肝は血を主る。
・・・(略)・・・
妊娠二月、名づけて始膏と曰う。
腥(なまぐさく)、辛の物は食すること無し、
居は必ず静かな処にし、
男子は労することなかれ、
百節みな痛み、これ始蔵というなり、
足の少陽、これを養う。
足の少陽なる者、胆の脈なり、精を主る。
・・・(略)・・・
妊娠三月、名づけて始胎と曰う。
まさにこの時、血流れず、形象は化を始め、
いまだ定儀(定まった形)有らざるなり。
・・・(略)・・・
手の心主これを養う。
手の心主なる者、脈中の精神たりて、内は心に属し、
神が能く混ざり(混ざる=合わさる、一緒になる)、
ゆえに手の心主これを養う。
手の心主の穴、掌後横紋にあり。
・・・(略)・・・
以上、妊娠3ヶ月までの記述をみてみました。
3ヶ月のところで
胎児の精神活動についての記述が見られますね。
記述が長いので原文は略しましたが、
ここでは
「まだ赤ちゃんの形が定まっておらず、
したがって妊婦が何を見るかでその形が変化するので、
立派な人物や偉い人物や起居動作が正しい人物を見るようにし、
そうでないような人や猿狼の類は見ない様にするべきである。」
とあり、さらに
「人徳がある子がほしいときは心を澄ませて正座し、
何も考えないようにすべきであり、」
などとも書かれ、後半には
「妊娠第三月には胎児に神明が宿るので
手厥陰の経脈が胎児を養うことになる」
とあります。
すなわち、胎児の精神がその体に
宿るのが
妊娠3ヶ月目であると記されています。
・・・精神が「生じる」というのではなく、
「宿る」「合わさる」というニュアンスで
書かれているのが興味深いですね。
まるでその肉体に、
合致すべき精神が外からやってきて
体に合わさっていくと
考えられていたのでしょうか。
参考文献:
『魂のありか 中国古代の霊魂観』 角川選書
『校釈 諸病源候論』 緑書房
興味がございましたら、ぜひ参考文献もご参照ください。