「神は細部に宿る」
という名言があります。
聞かれたことのある方も多いと思います。
個人的に建築が好きなのでよく耳にする格言です。
ミース・ファン・デル・ローエが
有名にした言葉とされているようですが、
現代の建築家の多くもドヤ顔で
これを語ることがお約束のシーンと
なっている感があり、
私も息子と何かを製作する時に
細部を雑に扱う度に、
「神は細部に宿る」や
細かい仕上げを怠るのは二流やぞと
教えるのですが、
高い確率で無視されます。
さて、この名言の出典には詳しくはなく、
ヨーロッパ圏で使われることが多い為に
向こうのものが元ネタだろうなとばかり思って
調べることもせずノーマークだったのですが、
我々は東洋医学の徒。

今朝、
うちの治療家内で
神について勉強会を行っていたところ、
為沢君が『黄庭経』
(東晋(317‐420)時代の経典)から
面白い一文があると紹介しました。
本人は意図せずたまたま持ち出したようですが。
それがこれ。
これを見てピンと来た。

「泥丸百節皆有神。」
泥丸とは脳(或いは脳の一部)
節とは東洋医学の用語でよく関節の節々を
指します。
ここでは百節なので、
多くの関節を指し、
脳と対比させて
一般の方は身体の多くの細部と
捉えて問題ないでしょう。
神とは、人の人たるものの主。人の精神活動の主と
されます。
(東洋医学の専門書ではこのように書きませんが、
専門用語は概念が難解な為、
一般人用にわかりやすく私個人の解釈を入れました。)
つまり、
脳(或いは脳の一部)や身体の細かいところに
皆、神(人の人たるものの主)が存在する。
こう、1600年以上前
の経典には書かれているのです!
まさにこれこそ
「神は細部に宿る」です!!
しかも東洋の智慧には、
それより更に、
「神は脳と細部に宿る」と示しているわけです!!!
どうだ!!!!

ちなみに、
『黄庭経』は我々でもまず目にする事が少ない
非常にマニアックな経典で
今回うちのスタッフが持ってきた一文も、
『類経』という医学書に『黄庭経』にこのような記載が
あると書かれていたところがあり、
そこから引っ張ってきた一文でありました。
(これについては『類経』蔵象類本神篇を参照されたし)
東洋医学は面白い!
では、また来週!
(嘘です。気が向いたら書きます☆)

はやし

追記。
該当の原文が見つかったとのことで
確認すると、

“泥丸百節皆有神、髪神蒼華字太元、
脳神精根字泥丸、眼神明上字英玄、
一面之神宗泥丸、泥丸九真皆有房、”

泥丸百節皆有神の後に、
泥丸九真皆有房、とあり、
このように韻を踏む場合は、
古典でよくある手法で
一読するだけで
この二つの泥丸百節と泥丸九真は
一つの主語と考えられるので、
泥丸と百節には皆神があるという意ではなく、
泥丸百節に皆、神があるという意になり、
神は細部に宿るという意味とは離れてしまいますね。
うーん。
非常にロマンがあったので残念!
時間のあるときに黄庭経の原文を探して読んでみようと
思います。

先日うちの森で見つけた謎のキノコ
(本文の内容とは関係なし)

 

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森に謎植物 押すとポフポフ胞子が。 食べれるとか食べれないとか。 #ツチグリ

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