<近日開催予定のイベント情報>
11月10日(日)に学生向け勉強会を開催します。
詳しくはこちら→https://www.1sshindo.com/blog/zenith19132/
下野です。
日本の医学史で名医と呼ばれる先達は多くいますが、
ただその殆どは一般的には知られておらず(当たり前か^^;)
郷土史にもほぼ出てこない先人もおります。
僕の生まれ育った街にも
”我が郷土の名医”と言いながらも
市史ではほとんど資料が残っていない名医がおります。
それが江戸期の名医 和田 東郭先生。
郷土史の先生方や歴史館の学芸員さん達にも
お伺いしたのですが、
やはり郷土の歴史にはほぼ残っておりません。
なので今回はそんな和田 東郭先生について少しご紹介します。
和田 東郭
江戸中期から後期の摂津国の医師。
父も医官で高槻藩に仕え、
東郭自身も内科を学び、古方派の吉益東洞の門に学ぶ。
京で開業の後に中宮に招かれ御医となり、
ついには医師としては最高位の法眼に叙せられる。
享年60歳。
東郭先生は医術とは一心不乱に治療を行うことで会得できる
と考えていたため、医術を書き残すことはなかったとされている。
ただ門弟が遺した書物があり、
『蕉窓雑話』、『傷寒論正文解』、『蕉窓方意解』、『腹診録』、『脈診一家伝』が有名である。
といった先生ですが、
市史、史料として残っているものは以下の内容でした。
『高槻市史』第二巻
「そのほか漢方医では、
寛政九年二月御医法眼として宮中に奉仕した
戸田(旭山)・東洞門下の和田泰純(東郭のこと)がおり、
その孫の東堂は表方医師として名高かったという。
そして彼もまた寛永六年には「内願不都合」として
家老の沙汰をうけているのである。」
くらいです。
う〜ん、もうちょっと史料があれば
少しは後世に残っていたのでは?と思います。
東郭先生は、
医術も一流ですが、
医への忠誠を誓い、
そして現代の漢方治療の基礎を築いたとされています。
アイキャッチ画像は
最も読まれているであろう『蕉窓雑話』(京都大学附属図書館所蔵)です。
<参考文献>
『近世漢方医学書集成 第15巻和田東郭』 名著出版
『高槻市史』 高槻市
※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。