こんにちは、大原です。
今回から「第7 十二経水と十二経脈」になります。
(前回 鍼灸甲乙経を読む その22

この「第7 十二経水と十二経脈」は
『黄帝内経 霊枢』の経水篇(第12)から
抜粋・一部修正などをされているようです。
それではさっそくみてみましょう。

<本文>
黄帝問曰
「經脉十二者、外合于十二經水、而内屬于五藏六府。
夫十二經水者、受水而行之。
五藏者、合神氣魂魄而藏之。
六府者、受穀而行之、受氣而揚之。
經脉者、受血而營之。合而以治奈何?
刺之深淺、灸之壯數、可得聞乎?」

岐伯対曰
「藏之堅脆、府之大小、穀之多少、脉之長短、血之清濁、氣之多少、十二經中多血少氣、
與其少血多氣、與其皆多血氣、與其皆少血氣、皆有大數。
其治以鍼灸、各調其經氣、固其常有合也。
此人之参天地而応陰陽、不可不審察之也。

最後の一文は『霊枢』にはなく、
『鍼灸甲乙経』を記した皇甫謐(こうほひつ)が
追記したものです。

<読み>
黄帝問いて曰く
「經脉十二なる者、外は十二經水に合して内は五藏六府に属す。
それ十二經水なる者、水を受けてこれを行(や)る。
五臓なる者、神氣魂魄を合してこれを蔵す。
六府なる者、穀を受けてこれを行(や)り、氣を受けてこれを揚げ、
經脉なる者、血を受けてこれを営す。合して以て治するには奈何(いかん)にするか?
これを刺すの深浅、これに灸するの壮数、聞くことを得べきか?」

岐伯対えて曰く
「臓の堅脆、府の大小、穀の多少、脉の長短、血の清濁、氣の多少、
十二經中の多血少氣と、

その少血多氣と、その皆血氣多きと、その皆血氣少なきとは、皆大数あり。
その治には鍼灸をもって、各その經氣を調えるに、
固よりその常に合するもの有らんや。

これ人の天地参じて陰陽に応じる、
これを察すること審らかにせざるべからずなり。

<意味>
黄帝が問うて申される
「人身に分布している十二の経脈は、
外は十二条の水流に合し、内部においては五臓六腑に属するものである。
さて十二条の水流は水を受け入れてこれを動かし、
五臓は、精神、魂魄等をその内に蔵して外にこれを表現し、
六腑は水穀を受容していこれを化し、
気を受けてこれを上方に揚げ、経脈は血を受けて全身を栄養する。
それらが総合され、配分されて治療行為が行われるものであるが、
それはどのようにすべきものであろうか?
これを刺す場合の深浅の度、
これを灸する場合の壮数などについてお聞かせ下さるだろうか?」と。

これに対し岐伯がお答え申し上げるには
「その臓の堅脆、府の大小、穀の多少、脉の長短、血の清濁、氣の多少、
十二經中の多血少氣、少血多氣、その血氣ともに多いか、
その血氣ともに少ないか等については一定の標準があります。
またその治療において鍼や灸を用いてその経氣を調えるためには、
症状に合致する定石があります。
これは人が天地の中で生きていることから
人身は陰陽の理論に応じるということであり、
これを観察して必ず明らかにしないといけません。

 

皇甫謐が『霊枢』の内容につけ加えたとされる最後の一文には、
人の血気の多少をみるためには
陰陽論を用いて必ず明らかにすることが重要だぞ」と
書かれています。
このように追記された箇所や修正したところは、
何か重要な意味合いがあると思いますが、
確かにこの一文がないと、
人の気血の多少をどのようにして判断すれば良いのか
全く分からないままとなってしまいますね。

続きます。

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参考文献
『鍼灸医学大系 黄帝内経素問』
『鍼灸医学大系 黄帝内経霊枢』雄渾社
『完訳 鍼灸甲乙経(上巻)』三和書籍

興味のおありの方は、ぜひ参考文献もお読みください。

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