<近日開催予定のイベント情報>
9月1日(日)に学生向け勉強会を開催します。
詳しくはこちら→https://www.1sshindo.com/blog/zenith18896/


こんにちは、大原です。
前回の続きです。(前回 鍼灸甲乙経を読む その21

<本文>

脹取三陽、飧泄取三陰。

今夫五藏之有病、譬猶刺也。
猶汚也、猶結也、猶閉也。
刺雖久、猶可拔也。
汚雖久、猶可雪也。結雖久、猶可解也。閉雖久、猶可決也。
或言久疾之不可取者、非其説也。
夫善用鍼者、取其疾也、猶拔刺也、猶雪汚也、猶解結也、猶決閉也。
疾雖久、猶可畢也。言不可治者、未得其術也。

<読み>

脹は三陽を取り、飧泄は三陰を取る。

今それ五藏の病あるは、譬えば、なお刺のごときなり。
なお汚のごときなり。
なお結のごときなり。
なお閉のごときなり。

刺は久しといえども、なお抜くべきがごときなり。
汚は久しといえでも、なおそそぐべきがごときなり。
結は久しといえでも、なお解くべきがどときなり。
閉は久しといえでも、なお決すべきがごときなり。

或いは久疾の取るべからずという者は、その説にあらざるなり。
夫れよく鍼を用いる者は、その疾を取ること、
なお刺を抜くがごとくなり、
なお汚をそそぐがごとくなり、
なお結を解くがごとくなり、
なお閉を決するがごとくなり。

疾久しといえども、なおおわらわしむべきなり。
治すべからずという者は、未だ其の術を得ざるなり。

<意味>
腹の張る病に対しては足の三陽経を、
不消化によるたてくだしの病に対しては足の三陰経の穴を
取って治療します。

五臓に病があるということを例えてみるならば、
なにかを刺したのとそっくりのようなものであり、
水のたまった凹地のようなものでもあり、
固く結んだ紐のようなものでもあり、
ぴったりしめきって内外を遮断した門の如くでもあります。

刺したものなら時が経過してもそれを抜くことができます。
水のたまった凹地は久しい(時間が経過した)ものでも取りのけることができます。
結んだひもなら久しいものでも解くことができます。
閉め切った門は久しく経過したものでも欠き取って通れるようにできます。

ですから、久しい病だからといって
その病を取ることができないよいうようなものは

正しい解釈ではありません。
鍼の上手なものであるならば、その疾を取ることなど
刺した鍼を抜くのと全く同じことであります。
凹地の水を取り除くのと全く同じであり、
結んだ紐を解くのとかわりなく、
閉め切った門を開けて通るのと全く同じことで、いと簡単なことであります。
それと同様に、久しい疾といえども
これを終わらせることはできるものであります。
もしそれを治すことができないという者は、
いまだ正しい鍼術を会得していないということであります。


参考文献
『鍼灸医学大系 黄帝内経素問』
『鍼灸医学大系 黄帝内経霊枢』雄渾社
『完訳 鍼灸甲乙経(上巻)』三和書籍

興味のおありの方は、ぜひ参考文献もお読みください。

返事を書く

Please enter your comment!
Please enter your name here