こんにちは、為沢です。
では、今回も『格致餘論』の続きを紹介して参ります。
格致餘論:濇脈論 其之三
東陽吳子,年方五十,形肥味厚,
且多憂怒,脈常沉澀,自春來得痰氣病。
醫認為虛寒,率與燥熱香竄之劑,
至四月間兩足弱,氣上衝,飲食減。
召我治之,予曰:此熱鬱而脾虛,
痿厥之証作矣,形肥而脈沉,未是死証。
但藥邪太盛,當此火旺,實難求生。
且與竹瀝下白術膏盡二斤,
氣降食進,一月後大汗而死。
書此以為諸賢覆轍戒云。
『格致餘論注釈』訳を使用:
東陽の呉子方は、五十歳の太った美食家であるうえに
憂や怒りが多く、脈は常に沈かつ濇であった。
春から喘息になったが、医者は虚寒証と考え、
軽々しく燥熱で香料のきいた薬を処方した。
四月になって、両足が弱り、気がのぼせて、
飲食の量が減り、私を招いて治療をさせた。
私は次のように言った。
「これは熱が鬱積して脾臓が虚になり、
足がしびれる症状が出ているということです。
太っていて、脈が沈なのはまだ死証ではありませんが、
薬の害が酷いので、この火性が盛んな時期(夏の四月)になると
誠に生きながらえるのは難しいでしょう。」と。
しばらく竹瀝を処方し、白朮膏を与えたところ、
二斤を使いきり、気が下り食も進んだが
一ヶ月後には大汗をかいて死んでしまった。
ここに記して、諸賢の覆轍の戒めとする次第である。
参考文献:
『格致餘論注釈』 医聖社
※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。
為沢