こんにちは、為沢です。
では、今回も『格致餘論』の続きを紹介して参ります。
格致餘論:治病必求其本論 其之一
病之有本、猶草之有根也。去葉不去根、草猶在也。
治病猶去草。病在髒而治腑、病在表而攻裏、
非惟戕賊胃氣、抑且資助病邪、醫云乎哉。
族叔祖年七十、稟甚壯、形甚瘦、
夏末患洩利、至深秋百方不應。
予視之日、病雖久而神不悴、小便澀少而不赤、
兩手脈俱澀而頗弦、自言鬲微悶、食亦減。
因悟曰:此必多年沉積、僻在胃腸。詢其平生喜食何物、
曰:我喜食鯉魚、三年無一日缺。
予曰:積痰在肺。肺為大腸之髒、宜大腸之本不固也。
當與澄其源而流自清。
以茱萸、陳皮、青蔥、蔍苜根、生姜、煎濃湯和以沙糖飲一碗許,
自以指探喉中、至半時辰、吐痰半升許如膠、是夜減半。
次早又飲又吐半升而利止。又與平胃散加白術、黃連、旬日而安。
『格致餘論注釈』訳を使用:
病に本があるのは、草に根があるようなものである。
葉を取り去っても根を残しておいたら、草はまだ生きているのである。
病を治すのは、草を取り去るようなものであり、
病が臓にあるのに腑を治したり、病が表にあるのに裏を攻めたりするのは、
ただ胃の気を傷つけるだけではなく、
さらに病邪をたすけることにもなり、
(これでは)医者だと言えるだろうか。
(私の)大おじは年は七十、気質は甚だ壮健で、
体型は痩せ型である。夏の終わりに下痢を患い、
晩秋まで、あらゆる処方を試みてみたが、効果が無かった。
私は彼を診察して
「病気を長く患っているが、精神はやつれていない。
小便の出悪く少ないが赤くはない。
両手の脈はともに濇であり
すると彼は自ら
「膈がわずかに苦しく、食がまた減った」と言った。
そこで私は
「これはきっと長年の沈着物が胃腸に偏ってあるのだ」と気づいた。
そこで普段何を食べるのが好きかたずねると
「私は鯉が大好きで、この三年間、一日たりとも欠かしたことがない」と言う。
そこで私は「痰が肺に蓄積しています。
肺は大腸の臓で、大腸の本(肺)が固まらない(ために下痢を患う)のも当然です。」
まさにその源(肺)を澄ませ、(大腸の)流れを清めなくてはなりません」と言った。
そして、
砂糖を混ぜて一碗ほど飲ませ、自分で指を喉の奥に入れると、
一時間ほどして、膠のような痰を半升ほど吐いた。
その夜には(下痢が)半減し、次の朝また薬を飲ませたら
半升吐いて、下痢が止まった。
さらに平胃散に白朮、黃連を加えたものを与えると十日で治った。
参考文献:
『格致餘論注釈』 医聖社
※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。
イワシの群れはどの水族館でもドリーミングなBGMが流れてますねw
為沢