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こんにちは、為沢です。
今回は鑑真がんじんを紹介します。

歴史の教科書にも出てくる鑑真ですが、
中国の広陵江陽県(今の江蘇省揚州市)677年に生まれ、763年に奈良で没し
もともと中国の生まれで、日本に帰化した僧侶として有名です。

彼はわずか14歳で揚州大雲寺に出家し
長安・洛陽で仏教を学び、唐国内で戒律を教え広めて名声を得ていました。
その頃、仏教の布教のため本格的な伝戒師を求めていた日本から
僧の栄叡(ようえい)・普照らが唐に渡り
鑑真に日本で戒律を広めてくれるを懇願したところ、
742年、渡日することになりました。
この時 鑑真55歳でした。

しかし難破などで5回も渡海に失敗、
そのうちに自らは眼病を患い失明してしまいます。
実に11年の月日を費やし、753年、6度目のトライで
遣唐使の帰国船に乗ってついに日本に渡ることに成功!!
翌年には平城京に入り、東大寺に迎えられました。
そして大仏殿前に戒壇を設けて、
聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇を始めとして、
多くの僧侶が鑑真から受戒しました。

鑑真は戒律だけでなく医術についても詳しい知識を持っており、
聖武天皇の妃、光明皇后の疾病を治癒させたことから、
聖武天皇から「大僧正」の位を贈られました。

この間、中国から医薬や医典が日本に相次いで伝来するも、
当時の日本人は伝来した薬物品種を適切に鑑別する
知識や経験を持ち合わせていなかったので、
鑑真は失明していていても、嗅覚・味覚・触覚により
薬物を鑑別し、正しい薬物知識を日本人に教授しておりました。
日本の古代医学の発展に大きく貢献したため、
「日本の神農」「日本における漢方の始祖」
と仰ぎ称えられました。

鑑真には『鑑真上人秘方』という治療経験と秘方・一巻
の著作があったようですが、すでに散逸してしまったため
確認することができませんが、
『医心方』にその一部が引用されているとのことで
その一端を垣間見ることができます。


参考文献:
『東洋医学 基礎編』
『いちばんわかる!東洋医学のきほん帳』学研
『東洋医学概論』医道の日本社
『現代語訳◉黄帝内経素問』
『現代語訳◉黄帝内経霊枢』
『中国医学の歴史』
『中国鍼灸各家学説』東洋学術出版社

為沢

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