こんにちは、為沢です。
張景岳の『質疑録』を紹介してますが、
その中でよく批判されている
朱丹渓しゅたんけいによる『格致餘論かくちよろん』についても同時進行で紹介せなあかんな
と思いまして、今回から『格致餘論』も紹介して参ります。
まずはその序章から紹介します。


格致餘論:序

『素問』、載道之書也。
詞簡而義深、去古漸遠、衍文錯簡、
仍或有之、故非吾儒不能讀。

學者以易心求之、宜其茫若望洋、淡如嚼蠟。
遂直以為古書不宜於今、厭而棄之、
相率以為『局方』之學;間有讀者、

又以濟其方技、漫不之省。
醫道隱晦、職此之由。可嘆也。

続く


『格致餘論注釈』訳を使用:
『黄帝内経』は道を記した書である。
言葉は簡明でも、その意義は深く、古から次第に遠く隔たった為、
文字や文に誤りがあるようである。
故に我々儒者にしか読めないのである。
医学を学ぶ者は、安易な心をもって、これを理解しようとするので、
遠くを見るが如くおぼろげで、ろうを噛むが如く味気なくなってしまう。
そして古い書物は今に合わないと考えて、
これを嫌い見捨て、皆そろって『局方』の学を行うことになってしまう。
たまに『素問』を読む者はあるが、
その医術を用いるのに、漫然としてそれを省みることがない。
医の道が隠れてしまったのは、主にこのような理由からである。
何と嘆かわしいことであろうか。

続く

梅

参考文献:
『格致餘論注釈』 医聖社

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

為沢

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