1月開院の心斎橋院について
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こんにちは、為沢です。
今回は張景岳ちょうけいがくの『質疑録しつぎろく』の第二十二章「論三日瘧分子午卯酉日 其之二」です。



和訓:
夫れ瘧邪の来たるに定期無し、
何ぞ嘗つて某日を主るに則ち某経の瘧と定めんや?
予謂うに丹渓の地支を以て三陰経に分かつ者は、
大約は十二の時を論し、而して日を以て言うに非ざるなり。
如えば成無己は瘧は六経に分かち、三時を以て解すと云う。
太陽は巳従り未に至る、陽明は申従り戌に至る、少陽は寅従り辰に至る、
太陰は亥従り丑に至る、少陰は子従り寅に至る、厥陰は丑従り卯に至る。
十二の時を以て三陽三陰に分かち、陽は昼を主り、陰は夜を主る、
三陰経瘧は大抵は子の前、午の後に發する者多し、
陽道は常饒なり、陰道は常に乏しきなり。
丹渓が子・午・卯・酉を以て三陰経に分屬せし者は、
此は時を以て言い、日を以て論ずるに非ざるなり。


・瘧邪が侵襲するのに定まった日にちなどあるはずがないのに、
或る日はある一定の経の瘧であると定めたのであろうか?

・思うに、丹渓が十二支をもって三陰経に分けたのは、
およそ十二の時でもって論じたものであり、
日にちでもって論じたものではないであろう。

・例えば成無巳は瘧を六経に区分し、三つ時をあてはめている。

・太陽は巳から未までであり、陽明は申から戌までであり、少陽は寅から辰までであり、
太陰は亥から丑までであり、少陰は子から寅までであり、厥陰は丑から卯までである。

・一日の十二の時を三陽三陰に分ければ、陽は昼であり、陰は夜である。

・三陰経の瘧は大抵は午の後から子の前に発するものであり、
陽道は豊かであり、陰道は常に乏しいとされる。

・丹渓が子・午・卯・酉などで三陰経に属させてのは、
これは時をもって言い、日をもって言ったものではない。


原文:
夫瘧邪之来無定期、何嘗主於某日則定経之瘧?
予謂丹渓之以地支分三陰経者、
大約以十二時論、而非以日言也。
如成無己云、瘧分六経、以三時爲解。
太陽従巳至未、陽明従申至戌、少陽従寅至辰、
太陰従亥至丑、少陰従子至寅、厥陰従丑至卯。
以十二時分三陽三陰、陽主昼、陰主夜、三陰経瘧、
大抵發於子前午後者多、陽道常饒、陰道常乏也。
丹渓以子・午・卯・酉分屬三陰経者、
此以時言、而非以日論也。


参考文献:
『中国医典 質疑録』 緑書房
『格致餘論注釈』医聖社
『中国医学の歴史』 東洋学術出版社
『中国鍼灸各家学説』東洋学術出版社
『宋本傷寒論』東洋学術出版社
『現代語訳 黄帝内経・素問』東洋学術出版社
『現代語訳 黄帝内経・霊枢』東洋学術出版社
『校釈 諸病源候論』緑書房
『景岳全書』台聯國風出版社

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

為沢

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