さて、今回より中医学者にとって必須である
『傷寒論』という古典医籍を御紹介していこうと思います。
傷寒論とは張仲景(西暦150年頃生〜219年頃没・
河南省南陽鄧県の人で中国後漢の官僚で著名な医学者)が著した
伝統中国医学の古典医籍であります。
張仲景は同郷の張伯祖から医術を学び、
若くして医学理論、臨床実践の面で師より優れるようになりました。
彼が生きた後漢末は、封建支配階級の過酷な搾取と圧迫と
何年も続いた戦争のため、安心して生活ができない時代であり、
また疾病が流行し多数の命が失われた時代で
張仲景の一族も、もとは200名以上の大家族でありましたが
建安元年(196年)から10年足らずで3分の2が死亡し
うち70%が傷寒による病死でありました。
このような疫病の惨状を目の当たりにし、
張仲景は病を治して人を救うため『内経』など古典の医籍を
広く研究し、一般の人々の治療経験を広く集め、
自分の臨床経験と併せて『傷寒論雑病論』十六巻を撰しました。
彼の著作は世に出て間もなく戦乱の渦にのまれ
原書が散逸しましたが、西晋時代(265〜316年)の王叔和の編集、
宋の治平年間(1065年)に高保衡、孫奇、林億らの
校正を経て現在の『傷寒論』と『金匱要略』という2つの書物として
現代に伝わっております。
傷寒とは広義の意味と狭義の意味の二つがあり、
広義の意味では「温熱を含めた外感熱病の総称」で、
狭義の意味では「風寒の邪を感受して起こる病証」のことで
温熱は含まれません。
この意味の違いは高保衡、孫奇、林億らの校正・復刻による
宋改の結果起こったことで、傷寒論の解釈の違いになってきます。
では、『傷寒論』の傷寒はどう記述してあるかというと
傷寒、中風、温病などの外感病証のそれぞれを記しているため
広義の傷寒であるといえます。
しかしその内容は、狭義の傷寒について詳しく論述されており、
温病に関する記述は、傷寒と比較、または識別できるように
簡単に説明されているだけに留まっております。
参考文献:
為沢