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どうも、新川です。
台風や地震などの自然災害の影響で分断されていた
箕面の滝道が復旧しました。
道を歩いていると、
そっくりそのまま道自体が無くなっていたであろう部分もあり、
最近の台風の被害を改めて思い出すきっかけになりました。
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さて、
ここからが本題です。
今回は「料敵」篇の続きです。
【料敵】
呉子曰、
凡料敵、有不卜而與之戰、者八。
一曰、疾風大寒、早興寤遷、剖冰濟水、不憚艱難。
二曰、盛夏炎熱、晏興無閒、行驅饑渇、務於取遠。
三曰、師既淹久、粮食無有、百姓怨怒、妖祥數起、上不能止。
四曰、軍資既竭、薪芻既寡、天多陰雨、欲掠無所。
五曰、徒衆不多、水地不利、人馬疾疫、四鄰不至。
六曰、道遠日暮、士衆勞懼、倦而未食、解甲而息。
七曰、將薄吏輕、士卒不固、三軍數驚、師徒無助。
八曰、陳而未定、舍而未畢、行阪渉險、半隱半出。諸如此者、撃之勿疑。
呉子曰く、およそ敵を料るに、卜せずしてこれと戦うべきもの八つあり。
一に曰く、疾風大寒に早く興き寤めて遷り、冰を剖き水を済りて艱難を憚らざる。
二に曰く、盛夏炎熱に晏く興きて間なく、行駆飢渇して遠きを取ることを務むる。
三に曰く、師、すでに淹久して糧食あることなく、百姓は怨怒して妖祥よしばしば起こり、上止むること能わざる。
四に曰く、軍資すでに竭き、薪芻すでに寡なく、天、陰雨多く、掠めんと欲すれども所なき。
五に曰く、徒衆多からず、水地利あらず、人馬疾疫し、四鄰至らざる。
六に曰いわく、道遠くして日暮れ、士衆労懼し、倦んでいまだ食わず、甲を解きて息える。
七に曰いわく、将薄く吏軽く士卒固からず、三軍しばしば驚きて、師徒助けなき。
八に曰いわく、陣していまだ定まらず、舎していまだ畢らず、阪を行き険を渉り、半ば隠れ半ば出ずる。諸かくのごとくなる者は、これを撃ちて疑うことなかれ。
→当時は、
国家の命運を左右する戦争にあっても、
占いによって判断を下すことがあり、
そのような時代においても、
合理的な判断を下すべきだと論じている所に価値があるといえる。
一、烈風厳寒のとき、
早朝に起き出して行動を始め、
氷を砕いて川を渡り、部下の難儀をかえりみない敵
二、盛夏炎熱のときに、ゆっくり起きだし、
あわてて行動をはじめ、飢え渇きながら、遠くに向かおうとする敵
三、長期戦となって、糧食は欠乏し、人民の間に怨嗟の声がみち、
不吉な出来事があいついで起こり、将がなすすべを知らずにいる敵
四、軍の資材、燃料、飼料が底をつき、
そのうえ長雨がつづき、掠奪のしようもなくなった敵
五、兵士の数は少なく、水の便や地の利も悪く、
人馬は悪疫に悩み、どこからも援軍のこない敵
六、道は遠く日は没し、兵士たちは疲れはてているのに、
食糧にもありつけず、武装を解いて休んでいる敵
七、将は徳が薄く、幹部は権威がなく、
士卒は結束がなく、全軍はいつもおびえ、援軍もない敵
八、布陣が完了していない、宿営の準備が終わっていない、
険しい地形をまだ通過しきっていない。このような中途半端な状態にある敵
敵が以上の状態であれば、
攻め込むべきであり、
自軍が同じ様な状態であれば、
敵の襲来がくる可能性が高くなるともいえる。
自軍への戒めとしても価値のある一説といえる。
続く
参考文献:
『孫子・呉子・尉繚子・六韜・三略 』 徳間書店
『孫子・呉子』 プレジデント社
『老子』 岩波文庫
参考サイト:
『呉子副詮』 国文学研究資料館HPより
※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。