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こんにちは、為沢です。
今日は張仲景について御紹介致します。
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張仲景(AD150年〜219年) 名は機といい、
南郡涅陽(今の河南省南陽市)の人で、
親孝行で正直潔白な人柄で学問を好みました。
青年時代、当時は疫病が蔓延し、多くの人が死に、
二百人以上いた張仲景の一族も大部分が病に倒れ亡くなりました。
この惨状を経て、彼は優れた医者を目指し
同郷の張伯祖という人に医学を学びました。
その後も医学に励んだ張仲景は、
古典や当時用いられた処方を広く集め、
彼の豊富な医学経験を合わせ『傷寒雑病論』十六巻を著しました。
張仲景の評判は拡がり、
中国医学史上でも最も傑出した医学者の一人に至りました。
南陽で発見された張仲景の墓碑には、
上面に「漢長沙太守医聖張仲景の墓」と刻まれており、
墓碑の台座に「咸和五年」(西暦331年)と刻まれていることから
これが晋代の碑であることが分かります。
つまり、張仲景が亡くなって百年後の東晋でも、
人々はすでに彼のことを「医聖」と称えるようになっていました。
そして今では、張仲景の墓地には彼の優れた業績を記念し、
「医聖祠」が建てられているとのこと。
張仲景がいかに名医であったか、
『鍼灸甲乙経』にこのようなエピソードがあります。
張仲景が若かりし頃、侍中(中国の官名。
漢代には天子の左右に侍して顧問に応ずる官。)
であった20余歳の王仲宣と出会い、
王仲宣の顔色を見るなりこう言いました。
『鍼灸甲乙経』序
謂曰:”君有病,四十當眉落,眉落半年而死。”
令含服五石湯可免。仲宣嫌其言忤,受湯勿服。
和訳:
張仲景は彼を見かけると言いました。
「あなたには病が有る、四十歳になると眉毛が落ち、
眉毛が落ちてから半年後に死にますよ。」
そして五石湯を王仲宣に与え、服用の方法を教えました。
しかし、王仲宣はこれを気に食わず、
薬は受け取ったものの飲まずにいました。
居三日,仲景見仲宣謂曰:”服湯否?”
仲宣曰:”已服。”
仲景曰:”色候固非服湯之診,君何輕命也!”
仲宣猶不信。後二十年果眉落,
後一百八十七日而死,終如其言。
和訳:
三日経ち、仲景が仲宣を見て言いました。
張仲景「湯薬は飲んでないのですか?」
王仲宣「飲んでるよ。」
張仲景「顔色診たら飲んでいないじゃないですか。なぜ自分の命をそんなに軽んじるのですか!」
王仲宣はそれでも信じませんでした。
20年後、王仲宣が40歳になると眉が落ち、187日後に死んでしまいました。
嘘かホンマか分かりませんが、
張仲景は、人の顔の気色を診てすぐに病を言い当てるほど
名医であったと記されております。
参考文献:
『東洋医学 基礎編』
『いちばんわかる!東洋医学のきほん帳』学研
『東洋医学概論』医道の日本社
『現代語訳◉黄帝内経素問』
『現代語訳◉黄帝内経霊枢』
『中国医学の歴史』
『中国鍼灸各家学説』東洋学術出版社
画像:
『図像本草蒙筌』総論,首巻,巻之1-12
早稲田大学図書館古典籍総合データベースより
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ni01/ni01_00815/index.html
為沢