<近日開催予定のイベント>
3月18日(日) :告知!第7回 鍼灸学生の為の勉強会


こんにちは為沢です。

ここまで江戸期までの鍼灸の歴史について述べてきました。
江戸期はもっと多くの流派が興り始めたとても大事な時期だったのですが、
ここでは割愛します。また別の機会にご紹介しますね。
では、今回は江戸→明治に入ってからの鍼灸の歴史を紹介したいと思います。


明治維新により、日本文化の西洋化が進められ
医学も西洋医学の導入が推進され鍼灸業界にも影響が出てきます。
明治4年(1871年)に太政官布告により
盲人官職、杉山流鍼治講習所が廃止されます。
(前回紹介した盲人教育に尽力した杉山和一先生が泣いてますよ(T_T))

そして、明治7年(18774年)に発布された「医制」により
医師・薬剤師の教育・免許制度を定め国家試験合格者にのみ
医療行為が認められます。
現代においては、無資格医は厳しく糾弾されますが、
江戸時代には医者の資格は存在しておらず
“闇医者”なる言葉もあり(”ブラックジャック”のような立場の医者のことです。)
これを見直そうという流れや、
従来からの東洋医学を排除し、
西洋医学の確立のため発布されたのが「医制」です。

しかし、当時における医師の総数 27,650 名のうち、
西洋医は 5,123 名(18.5%)
漢方医は 22,527 名(81.5%)であり、
医療の大半は漢方医が担っておりました。
このような状況下で東洋医学を排除しようとする政策が打ち出されたため
当然、漢方医はこの政策に反発し、
同志に呼びかけ、明治12(1879年) 温知社を設立します。
(初代社主は山田業広,2代浅田宗伯,3代浅井篤太郎(国幹))
明治13年(1880年)にはこの組織は全国レベルにまで拡大しました。

鍼灸に話を戻します。
この医制に
針治灸治を業とする者は、内外科医の指図を受るに非ざれば施術すべからず
という規定があり(ほとんど実際には励行されなかったようです)
杉山流の関係者も温知社に参加し、明治政府に異を唱えます。
明治18年(1885年)「鍼術灸術営業差許方」という便法がとられ、
営業として認許されるようになり、
その後、盲人の教育機関において鍼灸学科の復活もありました。

温知社は全国に分社18を数えて意気盛んでしたが、
政府の既定方針は変わらず、しだいにその勢力を弱め、
明治20年(1887年)その存続を討議するようになり、
その後解散に至りました。

簡単な紹介になりましたが、
今回は医療の西洋化に異議を唱えた激動の明治時代を紹介しました。
次回は大正〜昭和〜現代までの鍼灸の歴史を紹介します。


参考文献:
『東洋医学 基礎編』
『いちばんわかる!東洋医学のきほん帳』学研
『東洋医学概論』医道の日本社会
『中国医学の歴史』
『中国鍼灸各家学説』東洋学術出版社
『カラー図解 東洋医学基本としくみ』西東社
『針灸の歴史 悠久の東洋医術』大修館書店

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