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下野です。
今回も「大医精誠第二」の記事になります。
※前回まではの記事はこちら。
【古医書】『備急千金要方』「大医精誠第二」:第一
【古医書】『備急千金要方』「大医精誠第二」:第二
【古医書】『備急千金要方』「大医精誠第二」:第三
【古医書】『備急千金要方』「大医精誠第二」:第四
【原文】
自古名賢治病、多用生命以済危急。
虽曰賎畜貴人、至於愛命、人畜一也。
捐彼益已、物情同患、況于人乎。
夫殺生求生、去生更遠。
吾今此方所以不用生命為薬者、良由此也。
其虻虫水蛭之属、市有先死者、則市而用之、不在此例。
只如鶏卵一物、以其混沌未分、
必有大段要急之処、不得已隠忍而用之。
能不用者、斯為大哲、亦所不及也。
其有患瘡痍下痢、臭穢不可瞻視、人所悪見者、
但発慚愧凄怜憂恤之意、不得起一念蒂芥之心、是吾之志也。
<第六回に続く>
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【書き下し文】
古より名賢の治病、
多く生命を用いて以て危急を済う。
賎畜貴人と曰うと難も
命を愛するに至りては人畜一なり。
彼を損し己を益するは、
物情患いを同じく況や人に於いてをや。
夫れ殺生して生を求むるは、
生を去ること更に遠し。
吾 今此の方に生命を用いて薬とせざる所以の者は、
良に此に由るなり。
其れ虻虫水蛭の属の市に先んじて死せる者有れば、
則ち市いて之を用いるは、此の例に在らざるなり。
只だ鶏卵の一物の如きは、
其の混沌未分なるを以て
必ず大段要急の処有れば
已に隠忍して之を用いるを得ず。
能く用いざる者は、斯れ大哲為りて
亦た及ばざる所なり。
其れ瘡痍下痢を患いて臭穢瞻視しべからず、
人の見るを悪む所ある者も、
但だ慚愧凄怜憂恤の意を発し、
一念蒂の心を起こすを得ざるは、
是吾が志なり。
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ではこれまで同様に、
現代語にしてみようと思います。
「古来から名医の治療は
生命あるものを使い危急を救ってきた。
卑しい動物だろうと貴い人間だろうと
自らの命が愛しいのは同じである。
彼らの命を損なってまで
己の命を益すことは
生を生きる者みな苦しむものであるから、
それが人であれば尚更である。
殺生をして生を求めることは、
生きる者の道として更に遠くなる。
吾が命ある者を薬と用いない理由は
この様な事が理由である。
虻やヒルの類いが、市場で売買されている時点で
死んだものを得て、使用するのはこの限りで無い。
ただ鶏卵は、未だ陰陽が分かれていない
混沌としたものであるため、
急を要す場合は、やむを得ず使用する。
これらを用いずに済むのは
道理において大哲の域であり、
私にはまだそこには至っていないのである。
もし傷や下痢を患い、
その臭いや汚れに正対出来ず、
人が診たがらない患者が来たとしても
そう思った自分を恥じ、
辛く あわれにだから何とかしてあげたいと思い、
つまらぬ心を起こさないようにするのが
私の志である。」
上記の様になります。
簡単にまとめると、
「命ある者を助けるために、
別の命を用いることは心苦しいことであり、
私はそうしたことをしたくない。
ただ陰陽が分かれていない卵でありば、
どうしようもないときには使用する。
出来れば私はそれも使いたくない。
また誰もが診たくない患者であっても、
皆と同じ様に接し、治療をするようにしたい。」
といったところでしょうか。
中国では
「神」として崇められている
名医 孫思邈であっても
このように悩んでいたと思うと、
僕達の悩みはなんてのは、
まだまだ悩み足らないなと感じています。
次回につづきます。
通勤時間にこちらを読んでおります。
学生時代に
とある非常勤講師に同じ様なことを言われたことを
思い出しました。
学生さんが読むと、
何か感じることがあるのではないでしょうか。
<参考文献>
『備急千金要方』 中国医薬科技出版社
『中国医学の歴史』 東洋学術出版社
『まんが中国医学の歴史』 医道の日本社
※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。
下野