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こんにちは盧です。
本日は前回に引き続き張元素を見ていきます。

前回のおさらい
張元素

それでは張元素の学術思想について迫っていきましょう。


1,蔵府弁証を発展させた
東洋医学において五蔵六府は特に重要な位置をしめます。
実際に、東洋医学の最初の原典であると考えられている
『黄帝内経』(キリスト教でいう聖書のようなもの?)
には病の見立てを五臓六府でみて行こうという
片鱗が見られます。

その後、『金匱要略キンキヨウリャク』という古典の中で
蔵府を中心に病を見てゆく傾向が強く現れます。

その後、
華佗の著作であるとされる『中蔵経』
銭乙の著作である『小児薬証直決』にて蔵府の中にさらに
寒熱(冷えているのか、熱をもっているのか)、
虚実(弱っているのか、邪魔するものがいるのか)
という見方が導入され、大きく蔵府を見立てる基礎が
出来上がります。

(華佗は三国志で有名な曹操の手術をしようとした
名医として有名です。頭を開くという記述があるので
脳腫瘍か何かだったのでしょうか?
華佗の生きていた時代が西暦208年と言いますから
当時から外科技術を持った人がいるとは驚きです。)

そこから時代を経て神童・張元素先生が登場します。
彼の凄いところは、
『蔵府標本薬式』という著書の中で、
蔵府の虚実と寒熱に注目するという伝統を
受け継ぎつつ「帰経」という考えを提出しました。
帰経とは
「飲んだ本草(生薬)が体の中を巡り
どの蔵府経絡に行くのか?」
という考え方です。
(今でいうホルモンと受容体のような
考え方に近いのかもしれません)
東洋医学の経絡と本草、蔵府の関係を
密にしたと言えるでしょう。

これによって蔵府弁証はより細かく
精密に見立てる事が可能となりました。

これは決してそれより前の時代の
医家達の見立てが甘かった訳ではありません。
おそらく、むしろ逆で古代の医家達の方が
見立てが細やかであった可能性は大いにあります。
ただ張元素は感覚的なそれを言語化して
後世に伝え残し整理したという意味では
やはり名医と言えるのではないでしょうか?

つづく


参考文献
『張元素医学全書』中国中医薬出版

本棚その1
本棚その1

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