どうも、新川です。
先日の台風の際、
所用で大阪市内へ出掛けた際の一枚です。
当たり前ですが、
「不要不急」の用事がない限りは出歩かないのが一番です(笑)
そんな日だったので、
日中でも道にはほとんど人気がありませんでした。
どんな街も人がいる事ではじめて「温度」が出てくることが分かります。
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今回から、
『温病条辨』の記事が本格的に始まります。
本書は、
巻首:原病篇
巻一:上焦篇
巻二:中焦篇
巻三:下焦篇
巻四:雑説
巻五:解産難
巻六:解児難
以上から構成されております。
早速、
『温病条辨』巻首 原病篇
から綴って参ります。
温病条辯
【巻首 原病篇】
《六元正紀大論》曰、
「辰戌之歳、初之気、民厲温病」、
「卯酉之歳、二之気、厲大至、民善暴死、終之気、其病温」、
「寅申之歳、初之気、温病乃起」、
「丑未之歳、二之気、温厲大行、遠近咸若」、
「子午之歳、五之気、其病温」、
「巳亥之歳、終之気、其病温厲」
《六元正紀大論》に曰う、
「辰戌の歳、初の気、民は温病を厲む」、
「卯酉の歳、二の気、厲大いに至り、民は善く暴かに死し、終の気、其れ温を病む」、
「寅申の歳、初の気、温病乃ち起る」、
「丑未の歳、二の気、温厲大行し、遠近咸若し」、
「子午の歳、五の気、其れ温を病む」、
「巳亥の歳、終の気、其れ温厲を病む」
一目見ても分かりづらく、非常に難解そうですが、
進めていきましょう。
まず、《六元正紀大論》というのは、
「黄帝内経素問」の「第七十一」にあたり、
「五運六気」について詳しく解説してくれている篇です。
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【用語解説】
「五運六気」(ゴウンロッキ・ゴウンリツキ)
“略称「運気」。
木火土金水の5種と風火熱湿燥寒の6種をもちいて、
毎年の気候変化を予測すること。
古代の医家は、甲乙丙丁などの十干から「運」を定め、
子丑寅などの十二支から「気」を定めた。
これらに五行理論を結合し、
毎年の気候変化と疾病との因果関係を推断した。”
『中国医学辞典【基礎編】』たにぐち書店より 引用
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要点は、
「温病は気候変化に大きく影響を受ける」
という点です。
それを根拠づけるような一文が続きます。
叙気運,原温病之始也。
気運を叙ぶるは、温病の始を原ぬるなり。
《現代語訳》運気を考察するのは、温病発生の根本を示すためである。
さらに、過去の温病研究者である呉又可の意見を掲げつつ、
説明が続きます。
按呉又可謂温病非傷寒,温病多而傷寒少,甚通。
謂非其時而有其気,未免有顧此失彼之誚。
盖時和年稔,天気以寧,民気以和,雖当盛之年亦微
至于凶荒兵火之后,雖応微之年亦盛。理数自然之道,無足怪者。
按ずるに呉又可は「温病は傷寒に非ず、温病多くして傷寒少なし」と謂い、甚だ通ず。
「其時に非ずして其気有り」と謂うは、未だ顧此失彼誚有るを免れず。
蓋し時和し稔り、天気以て寧んじ、民気以て和せば、
当に盛んなるべきの歳と雖もまた微か、
凶荒兵火の後に至れば、応に微なるべきの歳と雖もまた盛ん、
理数自然の道は、怪しむに足る者無し。
《現代語訳》呉又可が「温病は傷寒とは異なり、温病が多く傷寒は少ない」と指摘したのは評価できるが、
原因を「其時に非ずして其気有り」としたのは不十分である。
これは変であり、歳気にもとずく常を知るべきである。
温病の発生には社会情勢も関与する。
豊作で民意が安定していれば、温病が流行するはずの年でも影響が少なく、
また兵火戦乱の後であれば、微行の年でもつよい流行がみられる。
続く
参考文献:
『黄帝内経素問』
『黄帝内経霊枢』
『中国医学の歴史』 東洋学術出版社
『中医臨床のための温病条弁解説』医歯薬出版株式会社
新川