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12月6日(水) :告知!第6回、鍼灸学生の為の勉強会
こんにちは、為沢です。
今回は張景岳の『質疑録』の第四章「論肝無補法」の其の一です。
和訓:
凡そ一切の痃癖、癥瘕、痞氣、奔豚、腹中杯の如く盤の如き者は、
皆な肝虚し、金衰え、木横の病なり、當に腎水を滋し以て之を救うべし、
疏利伐肝の剤は切に用いる可からず。
足厥陰肝は風木の臓爲り、条達を喜びて抑鬱を惡む、
故に経に木鬱すれば則ち之を達せよと云うは是なり。
然るに肝は血を蔵す、人の夜に臥すれば則ち血は肝に帰る、
是れ肝の以て養を頼る所の者は、血なり。
肝血の虚すれば、則ち肝火の旺んとなる。
肝火の旺んなる者は、肝氣は逆するなり。
肝氣の逆すれば、則ち氣は實して、有余爲り。
有余なれば則ち瀉す、世を挙げて尽く伐肝を曰う、
故に肝に補法無しと謂う。肝氣有余なるは補うべからずとは、
補えば則ち氣は滞りて舒ならざることなり、
血の補うべからざると云うに非らざることを知らず。
・凡そいっさいの痃癖(両脇にできる腫塊)、
癥瘕(腹内の腫塊)、痞気(脾ノ積)、奔豚(腎の積、ヒステリー発作)
腹中に杯盤を伏せたような抵抗がある者はすべて肝虚で、
肺金が衰え、肝木の気が鬱結した病であり、
これは腎水を滋潤して救うべきであって、
疏利伐肝の方剤は決して用いるべきではない。
・肝の経絡では足厥陰肝経であり、
その托象は風木に属する臓であって、それ故に条達(伸びやかで柔軟であること)
を喜び、抑鬱を嫌うものである。
『素問』六元正紀大論に「木鬱すれば則ち之を達せよ」
と言うのはこのことである。
・然るに肝は血を蔵するもであり、
人は夜に床に臥せば血は肝に帰るものである。
このことは肝はその栄養を血に頼っていることを意味するものである。
・肝の血虚では肝火が旺んとなれば肝気が逆するようになる。
肝気の逆することは則ち気実であり、有余ということになる。
有余であるものは則ち瀉すべきであり、そこで世を挙げて尽く
伐肝すべきことばかりを言うようになって、
故に「肝に補法無し」と言うようになったものである。
・肝気の有余は補うべからずとは、
補えば気が滞って舒(じょ=伸びやかなこと)でなくなるからであるが、
肝の血虚を補ってはいけないとは言っていないことを
世の医者はわきまえていないのである。
参考文献:
『中国医典 質疑録』 緑書房
『中国医学の歴史』 東洋学術出版社
『中国鍼灸各家学説』東洋学術出版社
※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。
為沢