無汗となる病証には具体的にどういったものがあるのか。
「中医弁証学」より、関連する病証をまとめたものを以下に記す。
寒邪在表証(傷寒)=寒邪
表熱証=熱邪
※涼燥証=燥邪
外寒傷陽証=陽虚
涼燥襲肺証=肺と大腸の病証
風寒犯肺証=肺と大腸の病証
太陽傷寒証=太陽病本証
※涼燥の邪とは、秋口に燥邪と寒邪が一体となったものである。
無汗を呈することに対しての分析には
「〜の邪が肌表に束して腠理の開閉が失調する」とある。
「開閉の失調」という表現ではあるが、
いずれも症状は無汗としていることから、
汗腺は閉じている状態である。
病証の中には風(開泄性)、熱(昇散性)などの、
腠理を開く性質を持っている邪が記載されている。
にも関わらず無汗となることから、
外邪が身体を襲ってから最も初期の段階においては、
身体内部に侵入しようとする外邪の侵入を防ごうと、
身体を守ろうとする力が働き、
それが汗腺を閉じている様子としてとらえることが出来る。
ここでの無汗というのは、
病邪に身体が犯されたことによる現象ではなく、
身体の防御反応による現象であると考えるのが自然だろう。
………と、考えたりもしたが、
どうもそういうことではなさそうだ。
表熱証に関しては、「無汗、または少汗」とあるし、
そもそも「無汗となる病証」なのだから、
異常が起こっていることに間違いない。
引っかかるのは、
汗が出なくなるというその機序である。
「〜の邪が肌表に束して腠理の開閉が失調する」
では、なぜ肌表の邪を発散できないのか?
それは、発汗の機序を知ることで解決出来た。
発汗は、主に肝と肺の協調によって行われている。
汗を出さない「固摂」の状態では、
肺は外に向かう肝気の力を、
内に押しとどめる様に働いて、
※腠理を閉じる。
汗を出す「宣散」の状態では、
肝の外に向かう力が強くなり、
肺もその気を外に発散させるようにして、
腠理を開くのである。
(「そうり」と読む。皮膚のキメの細かさ。
網目状のイメージ。発汗に関わり、
西洋医学でいう「汗腺」を含む概念である。)
この衛気による腠理の開閉は、
発汗現象に着眼すれば、「狭義の衛気」の作用であり、
これに肝気の外向きの力を合わせれば、
身体を外邪から守る防御作用となり、
これが「広義の衛気」であるといえる。
この気の拡散によって外邪を追い払うことこそ、
衛気の目的である。
拡散しようとする肝の働き(陽)と、
それを制御する肺の働き(陰)の両方が、
正常に働くことよって、
初めて衛気としての実効力が生まれるのである。
ここに陰陽互根の関係を見る。
ということで、
衛気が身体の防御としての役割をこなすためには、
肝気の力が必要不可欠だ。
ストレスや運動不足、その他の原因により、
肝気の外向きの力が不足する、或いは、
氣機が失調することで、
外邪を発散することができなくなり、
「〜の邪が肌表に束して腠理の開閉が失調する」
という状態になるのである。
最初に挙げた7つの病証に共通していることは、
いずれも直接肺に影響を及ぼしている点である。
つまり、前述した、
発汗における肺の陰的作用が失調したことによって、
無汗となっていることを示している。
もちろん、汗の状態だけで判断することはできないので、
その他の症状と併せて考察して弁証する。
内的因子として臓腑の状態を十分に診察する必要がある。
さらに、
汗の原料である津液の生成過程に関わるところも重要だ。
津液は腎陰が腎陽によって気化されたものに、
脾の働きによって得られる水穀の精微を合わせたものである。
脾の働きは腎陽によって賦活する。
肺や肝も腎陽に原動力を与えられているため、
腎陰や腎陽の状態は間接的に汗の状態を左右する。
以上をまとめると、
・発汗に必要な力と、外邪に対する抵抗力は、共通している。
(このことから、外邪に侵される→無汗という流れよりも、
抵抗力の弱り⇔無汗→外邪に侵される…という流れが重要であり、
外感病の初期に無汗となる現象が示す意味がここにある。)
・発汗は、機能面(陽)においては肺、肝によって成り立ち、
物質面(陰)においては脾、腎によって成り立っている。
・外感病において、まず肺に影響を及ぼすのは、
肺が外界と人体を隔てる外殻となっているからである。
(自然界においては、宇宙と地球を隔てる成層圏、
オゾン層などに置き換えることが出来る。)
参考文献:標準東洋医学
中医弁証学