インターネットを通じて言葉が飛び交う。
でも僕は、心にある感情を活字にし過ぎることを
極力さけている。
何故か。
心の中には言葉に出来ないモヤモヤや輝き、
嘆きやいろいろな感情がある。
言葉や文法、文字に表現するというルールに
はめこむ段階でかなりの部分を整理して削ぎ落とす気がする。
twitterなどでつぶやくいている文章などを見ると、
いろいろな所に発信出来て面白いなあと思うのだが、
どうしても自分の心の色を言葉に変換する
癖をつけることに畏れがある。
モヤモヤはモヤモヤのママ。
悔しくて一人、夜中に道を歩き、
その時にともにあった月の輝き、風、
雨の予感。建物や人の存在。道のうねり、
植物の匂い。開放感。自分と触れ合った無限の要素は
五感とともに自分の記憶に刻印される。
それを一部分文字にして抽出して終わらす事がもったいなく感じる。
文明、
何かを得れば 必ず何かを失う。
車輪を得れば 翼は失う。
友人と話をしていた。
昔はおばあちゃんが何を考えているかなんとなく
空を見ているとわかったという。
電話が無い時代には、
そういう気の交流があった、
人はかすかなものでも交信出来たのかもしれない。
今は機械が埋めている。
進化の先に何があるか。
その時代において、
この地球において、
人の存在価値とはなにか。
この時代、
言葉を発せざるを得ないが、
せめて言葉の一つ一つを大事にしたい。
輝きの無い言葉なら発しないでおこう。
社会のうちにあって、せいぜいのもがきとなろう。
ちなみに話は変わるが、
昨年の2月、
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が
「約2500の言語が消滅の危機に
さらされている」という発表をしたそうだ。
なかにも話し手が10人以下のものもあるらしい。
言語が飛び交っている中、
少数言語の消滅が止まらないらしい。
時代はめぐりますね。
常に生まれ 常に消滅している。
天地を交流する一滴の水のようだ。
循環するものの本質はいつも同じ。
鋭い人はみな感覚でつかんでいる。
先人は気一元だというヒントを示した。
林
語彙力のなさのため、しっくりくる言葉が見つからずいつでもモヤモヤ状態の私です。
先生の文は簡潔な中に力強さがあり短い言葉に深い気持ちがこもってます。
読んでいくうちに必ず気になる1行、ツボにはまる個所が出てきます。
まさにココロの鍼です。
私は林先生に治療を受けていないのでお会いしたことがありません。だからここでブログを読むのをとても
楽しみにしています。
気持ちを100%伝えることはできなくても、書いたものからその人となりが少しはわかるからです。
私としても日常生活ではこういう真面目(?)な話をする機会はありませんし。
言葉にできないこと、言葉にしたくないこと、言葉がいらないこと・・・確かにあります。
でもその言葉がうれしかったこともあります。
ひとつ前の林先生の記事の私のコメントに対して素直なところが徳だとの返事をいただきました。
それを読んだ時に涙が出てきました。
なんで泣いてるんだと思いながら泣いているという不思議な状態でしたがそんな風に思ったことがなかっ
た意外さ、自分のこういう部分は特に今のこの社会では損だとずっと感じていたこと、子供の頃親に「褒め
られた」記憶があまりないこと、それとたまたま嫌なことが重なって気分が落ち込み気味だった・・・から
だと思います。
実はこの感情の中にまさに「文字にできない部分」がありました。
というのは何の感情なのか自分でもわからないからなのです。でも、たぶん、マイナスの気持ちではない
です。
徳という言葉私にはとても似合わないですが、あのコメントをいただいたことで自分の中で今までとは
変化した部分ができたようです。
ありがとうございました。
自分の気持ちを言葉で人に伝えるって意外に難しいです。
たとえ私が自由自在に言葉を操れたとしてもです。
最近は、半分でも伝わればいいかなと思ってます。
共感できる人、似た感覚を持っている人に巡り合えればラッキーです。
何か伝わるものがあったようでうれしいです。
誰かが言ってくれました。
この社会は感じるものには地獄。
考えるものにはもってこいの世界。
まさにその通りですね。